029-354-1241

【電話受付時間】
9:00~20:00(平日・土日祝とも)
seaside

未分類

「覚悟」も3日坊主か?

インターネットとスマホが爆発的に普及したことで知ったかぶりと言うか知識をちょっと見聞きして分かったつもりになってしまった大人も子供も激増したような気がします。

分かったつもりになっていて、それではそれはどういうことかと質問すると、実は全く分かっていないということがばれてしまう。

へーすごいね、と、思ったことも、3日も経てば忘れてしまう。

さあやるぞとその気になっても3日もそれが続かない。

昔から三日坊主という言葉がありますけれども、そういう感じの大人と子供が激増しているように思います。

 

私はそもそも、サラリーマンを続けるつもりでおりましたが、教員免許を持っているし水戸市の生まれ育ちで地元だからと、生徒なんか簡単に50人も60人も集まって儲かってしょうがない、と騙されて塾長になってしまいましたが、

塾をスタートした当時、ゆとり教育の大変化が起こっている最中で、とんでもない事が始まったものだと思いながら、試行錯誤しながら受験予備校常勝を改善し続けてきましたが、ゆとり教育があっという間に否定されたことで、政府がゆとり教育は間違いだったと正式に 発表したので、今後はもうちょっとまともな教育に戻るのだろうと期待をしながら経営を続けてきました。

ところがゆとり教育などというものは大昔に完全に間違いだったと否定されたにも関わらず、絶対評価と言う美名のもとに始まった先生によるさじ加減の適当な通信簿の付け方は変わることなく、

1年の半分もお休みで「いつ勉強してるの?」という年間日程も変わること無く、

さらにゆとり教育の時代に教育を受けた人がその教育が良いと学校の先生になって、ゆとり教育信者が、指導する側の中に増え続けているのが現実です。

保護者もゆとり教育信者の世代になりつつあります。

つまり一度ゆるゆるにしてしまったものを元に戻そうとしても、もはや手遅れだということです。

少子化の進行によって受験圧力が下がり続けていることも、実態の部分ではゆとり教育路線が否定されたどころか、どんどん酷くなっていくように思います。

例えて言えば、ゆとり教育は死んだにも関わらず亡霊のようにいつまでも彷徨っているわけです。ものすごい数で。

さらにこの20年以内、インターネットとスマホが爆発的に普及したことによって、良かったこともたくさんありましたが、教育という側面で言えば、ただの知ったかぶりが激増しただけにすぎないということが言えると思います。

世の中全体がそういう流れですから、学校も教育産業も、それに迎合するのが自然な流れで、 元々あった日本の強みはどんどん失われていっているようにしか見えません。

教育産業で言えば先生ごっこ、生徒ごっこを、やればいい、そういうトレンドですね。

このブログに何度か書いてきたことですが、

何百年も昔から受け継がれてきた日本の強みというのは、外国から輸入したものをどんどん改善して世界一の品質にまで高めてしまうとか、外国人が驚くほど精密であるとか、正確であるとか、 また元々人間至上主義ではなく、元々外国でいうところのワンネスのような、自然とか環境を愛し尊重するといった、何百年も昔から受け継がれてきた日本の強みは片っ端から失われていっていると思います。

そもそも私は学校の先生になるための免許を成績トップでとったにも関わらず、自分が受けてきた教育プログラムは根本的におかしいと思い、それを修正するためには政治家またはジャーナリストになる以外には方法はないと考え、政治家になるほどの器はないからジャーナリストになろうと思って影響力の強い日本三大新聞社を受験しました

結果的に力及ばず、新聞記者としては補欠合格という形になってしまい、販売局か広告局ならば合格させてやるという条件だったので、仕方なく販売局に配属される形となりました。

実際に入ってみればユニオンショップと言って入社=労働組合員という雇用条件でしたから、社員全員が労働組合員だというおかしな会社で、その結果、毎年ボーナスが支給される前になるとストライキ、 その一方で会社の営業利益を最大化するために頑張るはずの販売局員がめちゃくちゃなことをやっているという実態を見て、最初の志とのあまりのギャップのひどさに、完全に絶望して、自分の未来を重ねることができませんでした。

その後紆余曲折があって、きっかけとしては騙された形で塾長になって、すぐに騙されたことに気がついたので莫大なお金や莫大な努力を犠牲にして、独力で長い間本気で教育そのものを考え続けてきましたが、

結局のところ、

基本になっているのは植民地にされないために最後まで戦い、 日本中の都市に片っ端から原爆を落とすと脅されて日本人が全滅したのでは仕方がないと天皇陛下が独断で無条件降伏を受け入れた、その歴史的な事実が戦後日本で行われた教育プログラムの根底にあるということに、学生のうちに薄々気づいていましたが、

教育のプロになって、アメリカが日本を占領した時の占領下プログラムが教育プログラムの根底にあるのだと確信するに至りました。

根底にある日本国憲法も教育基本法も、要するにそれ以前の強かった日本を少なくとも100年以上再起不能な状態にまで弱くするために、仕組まれた罠だったわけです。

日本の中にもそれに同調する人たちがたくさんいたので、学校の中にもそういう人たちをたくさん増やし続けて、戦争に勝った側であるアメリカやヨーロッパから見てどんどん日本という国が弱く貧しくなっていくように、 誘導・洗脳して行ったわけです。

そのために作られたプログラムが学校教育のプログラムであって、その実行部隊が学校の先生達なのであって、 

 実際に太平洋戦争の戦場に行った人がいまや老人ホームの中に押し込まれ、あるいはほとんど死に絶えてしまった今だからこそ、 そろそろ真実を明らかにするべきだと思います。

私は小学校高学年の時から自分が受けているこの教育プログラムは根本的に何かがおかしいと感じながらも大学生まで優等生を演じ続けていましたが、まさにゆとり教育のような形こそ、 戦争に勝った側であるアメリカやヨーロッパの人々が期待した形だったわけですね。

外国の植民地つまり奴隷状態にされてたまるかと、100年間戦い続けた昔の日本の人々が、今のこんな状況を見て嘆き悲しんでいるように思います。

高度成長の時代もバブルの時代もバブル崩壊もその後の不況の時代も、何もかもがアメリカやヨーロッパの一部の人々の都合のよいように 、コントロールされていたことで、長期的に見れば戦前の教育を受けた人達はどんどん老人になっていくのだから、つまり何百年も続いてきた日本の強みは持った人達はどんどん減り続けていくのだから、戦後の教育プログラムを何十年も続けていくことによって、再起不能になるまで100年がかりで徹底的に日本を弱くする。

その現場担当が学校の先生という立場だったわけで、さらに悪いことに教育産業はそれを助長することで金儲けをしてきたわけですね。

インターネットとスマホの爆発的な普及によって、 ちょろちょろちょろっと検索すればすぐに知ったつもりになる、そういう利口ぶった馬鹿者を激増させた、 そういう短所はありましたが、

その一方では、例えば私のような個人が世界に対して発信する可能性も出てきた結果、政府が言っていることとか私が昔所属していたマスコミが言っていることとか、そんなの嘘ばっかりじゃん、ということも隠しようがない状況になったわけですね。

たとえば、今年のコロナウイルス騒ぎはどう考えても嘘っぽいということは子供の頭でも薄々気づいていることですよね。

まあ、もちろん、教室としては徹底的にウイルス対策はしていますが、政府やお役所やマスコミは、嘘つきに見える。

インターネットとスマホの爆発的な普及によって、個人レベルで情報発信できるようになった結果、プロパガンダが嘘っぽいと見抜かれている。

ですから私は日頃の授業中にも、生徒たちにはこのように指導しています。

教科書に書いてあるからといってそれを鵜呑みにするな。成績が良い状態になりたいのであれば、まずはそれを疑ってみるというクセをつけろ。そうすることで本当なのかどうか調べるという習慣が身に付くし、考える力もついていく。

さらに言えば、学校の先生が言っていることは本当だろうか塾長が言っていることは本当だろうか親が言っていることは本当だろうか、さらに、自分がやっていることや自分が正しいと思っていることは本当に正しいだろうか、そのように、最初から疑うという習慣をつけろ、とまぁそんなことをしょっちゅう子供達に言い続けています。

そうすればチェックをする・確認をする習慣がつくことになるし、考える力もついていくからです。

正しい真実なのかどうかということは、テストの点数をとることと相反することになるかもしれない。つまり教科書に書いてあるからと言って鵜呑みにするなと言っているだけで、

自分が良い点数を取って自分の利益になることを考えると、間違っているかもしれない教科書の記述を覚える必要はあるのだと、つまりそれ自体が目的なのではなくて、そもそも学校で勉強している内容などというのは、その先にある目的を達成するための手段に過ぎないのだ。

そもそも学校で教えてくれる勉強程度は、本質的には20点を取っても命に別状はないのだから、例えて言えば一種のゲームみたいなものであって、テスト勉強受験勉強というゲームに勝ちたいのであれば、そのゲームの勝ち方を覚えろ。

テスト勉強ゲーム受験勉強ゲームの勝ち方なんてものすごく簡単だから、後は徹底的にそれを続けろ。

私はただのコーチであって、テスト勉強ゲーム受験勉強ゲームのプレイヤーはあなた方本人なのだから、先生ごっこ生徒ごっこをやっているんじゃなくて、 コーチが言うとおりにプレイヤーが訓練を続ければ必ず勝てる。

そんなことは当たり前の話で、昔からどういうわけだか勉強のことになると勉強以外のことと全く違うことをやっているかのように思い込む人が多いようですが、

テスト勉強や受験勉強をただのゲームだと捉えれば、所詮は同じ人間がやっていることなのだから、プロスポーツとか武道とか、そういうものとほとんど同じなのだ。

あるいはプロの世界という意味では、学校の先生方が教えてくれることのほとんどは世の中の建前の部分であって、建前を知ることは大事だけれども世の中は建前だけで動いているわけではなく、本音の部分というのがある。

いつまでも学生を続けているわけではなく、近い将来は社会に出ていくことになるのだから、社会に出て行っても通用するであろう考え方とか価値観を学生のうちに身につけておいたほうが有利だと思うよ。

小学生の頃から自分が受けている学校教育のプログラムはそもそも根本的に何かがおかしいと、気づいてしまった塾長は、最近は、本音トークを連発しています。

例えばその一つは、小学校も中学校もそうだけれども、ちょろちょろちょろっと15分か20分程度授業?講義?じみたことをやって、それから1ヶ月ほど経ってちょうど忘れきった頃にテストと称して覚えているかと聞いてくる。その結果が悪ければそれは自己責任だと言われてしまう。さらにその結果によってあなたの頭が良いとか悪いとか成績や評価を決めつけられてしまう。こんなものは最初からトリックであって、元々不可能なことをやれと言っているようなものだと。

だから自分の利益のためには学校で良い成績を取る必要があるので、優等生の演技をして学校に従順であるという前提のもとに、勉強そのものについては学校の進度そのものを根本的に無視して勝手に進めろ、下手に馬鹿正直で下手に素直すぎると自分が馬鹿を見るだけだよ、などといったことを言っています。

そもそも本物の優等生というのは、元々学校に対してあまり期待しているわけがなく、昔も今も、勉強は基本的に自分で勝手にやるものである、と、 最初から思っていると思います。

私はそれをはっきりと言葉で子供達に言っているだけです。

なぜかと言うと、私自身は学習塾や受験予備校に一度も通ったことがなく、塾長をスタートした当時は学習塾とか受験予備校というのは一般的にこういうものだということを徹底的に学びましたが、結局のところ、その本質は金儲けであって、しかも先生ごっこ生徒ごっこをやっているだけであって、 そんなものはクソッタレだ、と、自分が学生の頃にそう思っていたからです。

自分が小学生や中学生の時に塾長のような人に出会っていたらきっと人生は随分もっとましなものになっていたと、言い換えれば、現在の私が小学生や中学生の頃の私に、語りかけているつもりなのです。

こんな大人の人は他に見たことがないと、 そうでなければわざわざお金を払ってウチに来てもらう価値などないと、そういう信念でやってきたのです。

思えば、義理の兄が茨城県警察の警部補だったことがあって(今は退職して最後は警視正で退職後は嘱託として未だに茨城県警察の中にいますが)、しかも離婚をきっかけに絶縁状態になり東日本大震災の直後に謎の死を遂げた父の親族の中に警視庁にも警官がいたこともあって、一時の気の迷いで、母の再婚に伴い養子に入っていた栃木県の警官だった3年間だけを除くと、

私は結局一生、この国の教育プログラム教育システムのや教育そのもののことだけ、考え続けやり続けてきたのです。

ですからこれからも一生、学校の外側から、教育に関わって生きていくのでしょう。 











© 2024 ひたちなか市の学習塾なら高校受験に強い常勝へ