私が塾生に話しすることの中に「君たちは普通の学級に入っているんだよね?精神障害とか発達障害とかじゃないんだよね?」というのがあります。
障害を克服するのは並大抵のことではありません。保護者をはじめ周囲の人々の協力と、医療機関や福祉機関や、本人の 大変な努力が必要になると思います。
でも、 普通に考えれば、普通の学校の普通の学級に入っているのであれば、少なくとも医学的には普通の脳みそを持っているということになります。
にもかかわらず、テストをやると0点から100点の人まで、色々な状況の人がいます。
そこで私はいつも言うのですが、普通の脳みそを持っているはずなのに、なぜそんなに大差が開くのかと言うと、
目的意識があるのかないのかということと、最大の理由は、努力不足にあると思います。
本当の事を言ってしまえば、現在の日本ではテストの点数にかかわらず、命に別状はありません。
テストで0点を取っても殺されるわけではないのです。
教科書では授業で勉強している内容も、そんなことを覚えても覚えなくても命に別状がないと、本能レベルで誰もが分かっているのです。
ということは、学校で習っていることは、 命に別状がないと分かりきっていて、自分の将来に関係がないかもしれないことを分かっているにも関わらず、本能に反して、覚えなければならないということになります。
本能の正反対のことをしなければならないということですね。
本能のままに行動しようとなると、そもそも命に別状がないし、自分には必要のない知識なわけだから、頑張って覚える必要なんかないということになります。
ということは、テストで100点をとろうと頑張って理解しようとか覚える努力をしている人は、本能の正反対の行動を続けているということなわけです。
持って生まれた脳みそは正常であるにも関わらず、本能のままに振舞おうとすると、0点に近い点数を取ってしまうという現実になるわけですね。
その正反対の100点をとろうと頑張るということは、持って生まれた正常な脳みそをさらにさらに進化させようと、自分で自分に磨きをかけているということになります。
最近分かってきたことですが、学校の成績が良い人も学校の成績が悪い人も、眠っている間は別として起きている間はひっきりなしに、1日5万回も脳みそが勝手に何かを考えているというのです。
成績が良い人だけが1日5万回も脳みそを使っているのではなくて、成績が悪い人も同じように1日5万回も脳みそを使っているということが分かってきた。
だとすると何が違いかと言うと、その考えている内容が違うだけだと言うのです。
要するに勉強に関係のあることをひっきりなしに一日中考えている人が成績が良い人で、勉強に関係がないことをひっきりなしに一日中考えている人は成績が悪い人だということになるというのです。
気晴らしをするという言葉がありますけれども、それは何かを忘れるために、何か行動することによって、積極的に忘れる努力をしているということです。
ほんのちょっとの気晴らしならばいいかもしれませんが、例えば部活のような気晴らしつまり積極的に何かを忘れる努力の方が中心で、
例えばテストの内容のように自分の人生には関係がないと思われることを本能のままにどんどん忘れる努力をしていると、 完全に忘れている状態が出来上がるわけですね。
本能レベルではこんなものいらないとわかっているので、本能のままにそもそも覚えようともしないということかもしれません。
そして本来は成績が良い人と同じように持って生まれた1日5万回も考えるというその凄い能力を、 成績に関係のないことにばかり使うことになるわけですね。
要するに自分から積極的に自分の進化を止めて、本能に近いレベルにい続けようとすることになるわけですね。
義務教育を終えた程度では就職先もないということは子供にもわかっていますから、勉強が嫌いな人も仕方なく高校に進学するために受験勉強をすることになりますが、
高校卒業という資格を得るために勉強するというだけではなく、人間が本来は誰でも生まれ持っている向上心とか進化の欲望を、自分から封印することは、とてももったいないことだと思います。
本当は生まれながらに、起きている間中1日5万回も考え続けるようなものすごい能力を持っているのに、それを活かしきれないことは、とても残念なことです。