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サムライ昇龍

レベルを上げたいのであれば

ひたちなか市の個別指導塾・進学塾・学習塾 受験予備校常勝の塾長の吉村です。

 

公立の小学校や中学校は、学校を中心にして半径2 km 圏内の地域の、

すべての人が集まってきますよね。

 

ということは、ありとあらゆる人がいるわけです。

 

分かりやすく言えば、泥棒の子供もいれば、お巡りさんの子供もいれば、

お金持ちの子供もいれば、貧乏な人の子供もいるわけです。

 

こういうことを大前提として、義務教育の小学校や中学校というのは、

日本全体のレベルを底上げするために、

最低限この程度は出来なければならない

ということを前提としてカリキュラムが組まれているわけです。

 

幼稚園にしても、その小学校に進学することを前提としていますから同じことですよね。

 

小学校3年生ならばこの程度、小学校6年生ならばこの程度、

中学校1年生ならばこの程度、中学校卒業する時にはこの程度、

 

という具合に、年齢ごとに決められていて、

日本中あらゆるところで同じことが行われているわけですね。

 

その内容の平均点を取るぐらいが日本全体で言うまあまあ平均ぐらいな状態なわけで、

 

平均点にも満たないような点数しか取れない場合は日本全体から見て平均よりも下であることが確定したようなものなわけです。

 

そんなに上の方でなくても、まあまあ普通ぐらいでいたいという考えの人は多いと思いますが、

 

義務教育のシステムを考えた場合、いわゆる普通というのは、義務教育の学校で平均点をとるぐらいが普通ということになるでしょう。

 

厳密に言えば東京などの大都市圏では教育熱心な人が多いですから、その人たちの存在を考えれば地方での平均点レベルというのは平均より下ということになってしまうでしょう。

 

こういった事は実際にその学年になってしまう前から既にわかっていることで、

 

事前にわかっているのであれば、例えば中学校1年生の内容を小学生のうちにやってしまえばいいだけだと、できるだけ早く気がつけば良いのです。

 

そのことに気がついてしまうと、実は特殊な勉強というのは一切必要なくて、

 

例えば3歳のうちに5歳が出来るであろう事を勉強し、

 

10歳のうち13歳が出来るであろう事を勉強してしまえば良いということになり、

 

学生のゴールは大学ですから、大学に入学するまでそんな調子に、

実際の学年よりも数年先を常に学び続けていれば良いだけなんだということに気がつくことになります。

 

実際は小学校4年生だけれども、義務教育の小学校6年生がやるであろう内容を、勉強していれば良いというだけのことですね。

 

そのまま行けば中学生のうちに高校生の勉強をすることになるわけで、

すると高校生になる頃には、大学受験の勉強が終わっていることになるわけです。

 

大学受験の勉強ばっかり3年間やっていれば、最終学歴となる大学はというと、

高校生の現役のうちに、

いわゆる有名大学に合格することができる程度の学力になるでしょうね。

 

ということは小学校5年生だからといって小学校5年生の内容をやっていて一喜一憂している程度では、日本全体で見た時に、 平均レベルにしかなれないんじゃないかということです。

 

現在小学校四年生である場合、周りの人達はすべて小学校4年生の義務教育の内容を勉強しているわけですから、自分自身も同じ内容をやっていると普通だなぁという感覚になるのでしょうけれども、

 

当たり前のことですが、普通なのですからせいぜい普通でしかないのです。

 

普通以上になりたいのであれば、普通以上のことをやっていなければなりません。

 

そもそも普通というのは、その人が頭の中に持っている基準で、

見たいものを見たいように見ているというのが本当の話で、

その普通であるということ自体がもしかしたら勘違いである可能性も高いのです。

 

現在小学校4年生だからといって、小学校4年生の内容しか勉強してはならない、などという馬鹿げたルールはないわけで、

 

学校の先生に対して義理でもあるのであれば別ですが、

 

人間の成長ということを自体を考えれば、現在小学校4年生でも小学校6年生の勉強をしたって何の問題もないわけです。

 

将来立派に他人の命令をこなすだけの人間になりたいと言うのであれば別ですが、

 

持って生まれた自分の脳みそを使って、持って生まれた自分の生まれながらの能力を使って、自分自身の力で生きていこうという考えがあるのであれば、

 

幼いうちから、学校で教えてもらう前に、自分から積極的にどんどん勉強していくというクセをつけることが、 いつの時代も最も大事なのではないかと思います。

 

昔から、本当に勉強ができる人というのは、他人からあーだこーだ言われる前に自分で勝手にどんどん勉強を進めていたと思います。

 

そして実際のところ、学校というのは人間関係を楽しんだり色々な行事を楽しむために通っているようなものであって、 本当に自分自身のためになる勉強は学校以外の場所で行ってきたものだと思います。

 

学校で行われるテストの日程もテストの範囲も、実は事前にわかっていて、予想がつくわけですので、

 

昔から優秀な生徒というのは、予想がつくことを自分でとっとと勉強しておいて、学校では確認しているだけで、 

 

テストの範囲が発表になってからの2週間は、それまでとっくに勉強をしていたことをチェックしたり確認したりしているだけなのです。

 

準備期間たったの3日で高得点を取るなどというのはほとんど無理です。

 

テストの日程も範囲も 自由に変えることはできませんが、そのための準備を全員揃えなければならないなどというルールはないのです。

 

要するにゴールは決まっているけれどもスタートは決まっていないわけです。

 

そして日々の勉強は、主観的にやっているから良い結果にならないわけで、

 

日々の勉強からして、客観的に進めていけばいいのです。

 

そうすれば、客観的に誰もが認めてくれるような素晴らしい結果を残すことになります。

 

こういったことは学生のうちに限らず、社会人になってからもとても重要なことであると思います。

 

いちいち上司から命令されなければ動けないような社員は、上司から高い評価を得るのは難しいわけで、

 

基本的に上司が言うであろうことは予想がつくわけですから、それを事前に予測した上で先回りして準備しておけば、上司が優秀な社員だと評価してくれるであろう社員になることができると思います。

 

学生時代に学ぶべきことは、算数や数学ではなくて、 実はそういったことの方が重要なのではないかと思います。

 

例えば通信簿にしても、5段階評価の最高評価は5であるということが事前にわかっているわけですから、最初から最高評価を狙っていくべきだと思います。

 

20年以上前の相対評価の時代には、通信簿の1は生徒全体の7%の人につけなければならないと厳格に決まっていましたけれども、 馬鹿げたゆとり教育の時代に、そのパーセンテージが撤廃・否定された結果、

 

20年以上学校の先生をやっているけれども、一人も通信簿で1をつけたことがないと、正直な先生は証言しています。

 

こういうわけですから2が事実上の最低なので、

通信簿の3をもらってきたからといって真ん中ぐらいだというのは勘違いであって、

客観的に言えば真ん中よりも下だという風に見るべきでしょう。

 

事実上は4段階評価なわけですから、真ん中より上と思いたいのであれば通信簿では4以上でなければ、そうはならないことになるでしょう。

 

こういうことをストレートにミニコミ紙に書いた結果、学校の先生の OB だという人から、そんな露骨なことを書くものではないと批判されてしまいましたけれども、

 

一般の人はそういう認識がないと思いますので、親である自分が貰ってきた通信簿と同じような感覚で自分の子供の通信簿を見てしまうと思います。

 

それはそもそも馬鹿げているというお話です。

 

法律として明確にされていることなわけですから、そういうことをはっきりということが何故問題なのか私には理解に苦しみます。

 

というよりも、 学校の先生が言うであろう同じことを私が言っても何の価値もないわけで、同じように、

学校の先生がやっていることと同じことをやっているようでは、そもそも意味がないと思っています。

 

生徒の側から見れば、学校の先生は言わないし親も言わないようなことを私だけが言う。

 

そうでなければ私の存在意義が無いということになってしまうでしょう。

 

だから毎年のように、塾長のような人は他に見たことがない、こんなことを言う人は見たことが無い、

という評価をもらいますが、それは最高の褒め言葉だと思っています。

 

インターネットの時代ですから、このようにかなり自由に発言していますけれども、

だからといって一般の人が目にできるような状況では、発言できることにも限度があります。

 

でも教室の中であれば、普通は言えないようなことも、言えますよね。

 

今年は小学校4年生で来年も小学校4年生だというのであれば、

今日や明日の幸せだけを追求して、

何も変化はなくて良いのでしょうけれども、

 

今年小学校四年生ということは来年は小学校5年生になり、

そして間違いなく数年後には中学生になる。

 

ということは、小学生とか中学生の段階というのは、

「今のままで良い」とは言えないということになるわけで、

学力とかレベルとかを上げていかなければならないわけです。

 

レベルを現在よりも上げるとなれば、多少の不快感や痛みなどを伴うのは当たり前なことです。

 

大人でも子供でもそうですが、

コンフォートゾーンと言って、自分なりに快適な範囲とかレベルというのがあるわけです。

 

それ自体が変わらない限りは、永遠にレベルは変わらないわけです。

 

ということは学年が上がるにしたがってレベルを上げたいのであれば、

快適なコンフォートゾーンから飛び出して、不快で痛みを伴うような環境に身を投じなければなりません。

 

大人でも子供でも、自ら自主的に不快で痛みを伴うような環境に 飛び込むということはなかなかできないので、

本当に子供のレベルを上げたいのであれば、保護者である親がその環境に子供を放り込む必要があります。

 

最近の親は子供の自主性ということを重視しますけれども、

子供が自主的に行動するように誘導することが、親のやるべきことでしょう。

 

放置とか放任とかは不作為であり無思考・思考停止だと思います。

 

親の価値観とか枠に一方的に強制的に子供を追い込むことに問題があるのであって、

自主的に子供が向かうように誘導してあげることが必要でしょう。

 

楽しいことや楽なことばかりしていれば幸福感を味わうでしょうけれども、レベルは永遠に上がることはないでしょう。

 

現在小学校4年生だからといって5年後も小学校4年生のままで良いはずはないのですから、

5年後や10年後にはこうあるべきだということを、小学校4年生の現在のうちに教えてあげることが必要でしょう。

 

 体は20歳なのに脳みそが十歳ではだめだよね?ということですね。

 

体は10歳なのに脳みそが二十歳だとしたら、世界中があなたを天才と呼んでくれるのだ

ということは教えておいた方がいいでしょうね。

 

12歳までに学ぶべきこと、15歳までに学ぶべきこと

というのは義務教育のレベルで法律的に決まっているのですから、

 

そういう基準は、個人的な問題を超えているのだということですね。

 

何のために勉強するのか何のために学校が存在するのか、そういった本質的なことまで、日常的に、毎日、

私は生徒たちに話しているのです。



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