ひたちなか市の学習塾・進学塾・個別指導塾 受験予備校常勝の吉村仁です。
塾名の秘密という記事を以前書いたことがありますが、元はといえば出雲大社・島根県に旅行した時に、自分は 茨城県ひたちなか市(旧勝田市)の勝田駅前で塾を経営しているけれども、茨城県という名前はもともとヤマトの軍隊がこの地方に攻め込んで原住民を茨の城に追い込んで殺戮したという語源がある、ということから、茨城という地名よりも常陸国という地名の方が常世(とこよ)=極楽の国とか太陽が昇る国とかそういう語源になるので好きだなあ、ということと、 JR 常磐線勝田駅の近くで塾を経営しているのであるから常陸国の常磐線の勝田の塾ということは常勝塾ということだな、という、まるで大国主命の啓示のような由来になるんですね。
以前、モーターパラグライダーつまり背中に扇風機を背負ってパラグライダーで空を飛ぶということを趣味にしていたことがありましたので、空を飛ぶイメージつまり上昇していくイメージ、それもありました。
ジョウショウという音のイメージからすれば、上昇か常勝のどちらかの言葉が自然ですから、どちらの言葉の意味にしても、成績アップのイメージになるなあと思ったものです。
さらに茨城県で一番の銀行は常陽銀行ですけれども、後は全国的に有名な私立高校と言うと常総学院が地理的には遠いけれども有名ですから(一時期土浦市にも住んでいましたし)、常陽(ジョウヨウ)と常総(ジョウソウ)の中間の音でもあるな、ということも塾名ジョウショウを決めた理由になりました。
自分が元々毎日新聞社東京本社に勤務していましたので、毎日、新聞を読む、毎日新聞を読む、というイメージが頭のどこかにあったのかもしれません。
できるだけ普通の普遍的な言葉がいいな、ということですね。
でも、常に勝つという言葉をそのままとらえると、他人に勝ち続けることなんか不可能じゃないかということになるかもしれませんが、世界一にならない限りは、他人に勝ち「続ける」ことは不可能なわけですね。
ですから、もともとそういうことは考えていなくて、学年一位ということは目指しますけれども、水戸一高にトップ合格であったとしても、水戸一高の中で学年一位をキープするということは並大抵ではないわけです。
目指すのはいいとしても、現実的な話としては、その手前になる可能性がほとんどなわけで。
そういうわけで、常に勝つ、勝ち続ける、ということを考えると、結局のところ、他人に常に勝つのではなくて、自分に常に勝つということを目指すべきだということになります。
自分自身のナマケモノの心とか、先延ばしにしたくなる欲望とか、負けるかもしれないという弱気さとか、戦う前から諦めてしまうということとか、そういったような自分自身の心に勝つということ、あるいは過去の自分に勝つということ、そういうことであれば、常に勝ち続けるという事は素晴らしい事だなと思っています。
受験というのは結局は競争なわけで、どんな綺麗事を並べようが、他人の欲望と自分の欲望との競い合いですよね。
言ってみれば奪い合いなわけですね。
私立高校の特待制度などは欲望むき出しで、10点ぐらい点数が良ければ特待ランクが1段階上になって、現実的に10万円ぐらいお金を得するということだったりするわけです。
エリートサラリーマンになりたいとか狭き門を突破して公務員になりたいとか、あるいは誰もが羨むような職業に着くとか、要するに将来得られるであろうお金や社会的な立場が獲得できるということが、受験勉強を頑張る本当の動機だったりするわけですね。
そういうわけですから、 どんなに 綺麗事を並べようが、 その本質は修羅の世界なわけですね。
戦いの世界、殺し合いの世界、つぶしあいの世界になるわけですね。
そんな血みどろの世界は嫌だという風に思うのであれば、心が平和になるための道は二つしかなくて、きっぱりと諦めるということ、もう一つは上限まで行ってしまって他人が関係ない状態になっていうことですね。
どういうことかというと、テストの点数が5点だろうが20点だろうがそんなものどうでもいいよというふうに決めてしまえば、それはそれで平和なわけですね。
でもなかなか普通はそんなふうには思えませんので、もうちょっとまともな点数がとりたいと思うわけですけれども、そうすると今度はどこまで行っても他人との競争の世界に入り込んでしまうわけですね。
他人が上とか自分が上とか。
そして悩むわけですよね。
そんなふうにいつも他人と比較されていつも悩んでいるような状況が嫌だと思うのであれば、他人が関係ない状況になってしまうしかないですね。
要するに、100点満点であれば100点を取り続けてしまうような状況になれば、他人が何人いようが関係がないわけですね。
なかなかそんなふうにできないよ、 ということでしょうけれども、例えば人気がある大学の入試でそうであるように、競争倍率が4倍とか5倍とかいう場合には、 試験会場の中にいるほとんどの人が、実は、いてもいなくても関係ないということになるので、基本的には自分が勝手にトップレベルになってしまうしかないですよね。
もしも競争倍率50倍というようなことになれば、自分以外の49人、どんな人がどれだけいようが、全く関係がないということになりますね。
そういうことを考えると、受験というのは、究極的に言えば、他人は、いてもいなくても、実はあまり関係がないということになりますよね。
自分が勝手にトップの状態になるかなれないかという問題だけということになりますね。
それが、「常に勝つ」ということだと思います。