ひたちなか市の進学塾・個別指導塾・学習塾
受験予備校常勝の塾長の吉村です。
水戸一高1年の冬に父親を殴ったことがきっかけで、
塾長の両親は高2の時に離婚しました。
父親は
毎日のように母親を殴る蹴る、
刃物まで振り回し、
不倫もする、
という、とんでもない奴だったのです。
だから、許せなかった。
だから、ただ一度だけ、
ぶん殴りました。
それで、強制的に離婚になった。
息子が両親を離婚させた、
というわけです。
離婚後、
家の中の地獄の光景はなくなりましたが、
今度は、
貧乏生活が始まった。
水戸一高の成績は中の上だけど、
こんな状況では、
高校中退するしかないな・・
と思っていました。
でも、担任だった杉田先生や萩野谷弁護士が
石にかじりついてでも大学は出ろ、
と説得してくれたので、
中退することなく、
ぶっちぎり1位で大学に入学しました。
その時代は、
大学受験に失敗し続け、
浪人をする人がたくさんいて、
そんな思いまでして入った大学も、
進級できずに落第し、
中退した人が、
たくさんいたのです。
今とは違い、
入学も進級も卒業も、
全てが厳しかった。
だから塾長は、
授業料免除と奨学金を打ち切られないように、
鬼気迫るようにして勉強し、
ほとんどオールA評価を続けました。
そうとは知らない周囲のちゃらんぽらんな学生は、
一度も会話したこともないのに猫なで声を出して
「ノート見せて~」
などとすり寄ってきて、
頭に来たことが何度かありました。
その時は
「見せてやってもいいけど、
いくら払うんだ?
まさか、タダで見せろなんて都合のよいこと考えてないよな?」
と、切り返したものでした。
離婚後、
精神的に不安定だった母親のために、
母と同居して自宅から通うしかなかったし、
家を助けるためにバイト三昧するしかなかった、
そんな塾長に対して、
家から仕送りしてもらって下宿して遊びまわり、
下宿に女子大生を連れ込んで同棲している輩もいて、
ちゃらちゃらした奴ばかりで、
必死に生きていた塾長は、
そんな大学が 嫌いでした。
だから就職は仇を取ろうと思い、
また世の中を変えるには政治家かジャーナリストになるしかない、
と思い詰めていたので、
自分は新聞記者になる、
と決意し、
徹底的に調査して、
就職試験に挑みました。
自分にとっては、
それが本当の大学入試のつもりだったのです。
競争倍率数十倍。
石を投げれば東大と早稲田に当たる、
と言われた程、
レベルの高いライバルが、
うじゃうじゃいました。
猛勉強したはずの私にも、
その壁は厚く、
朝日か毎日か読売の新聞記者になる、
と意気込んで挑戦しましたが、
これは勝ち目がないかもしれない、
と判断し、
途中から販売局も併願しました。
一次二次三次試験と上がっていき、
数十倍の倍率は とんでもなく厳しくて、
内定まで辿り着いたのは、
毎日新聞社販売局だけでした。
でも、
ジャーナリストにはなれないけど、
あこがれの全国紙の
本社勤務なのだから、
まあ、仕方ないか、
と、諦めたのです。
入社してみると、
医者なのに記者になりたくて入った人、とか
高校の先生だったのに辞めて入社した人、とか
インドを長期間放浪していて、帰国して入社した人、とか、
上場企業の一流商社マンだったのに転職した人、とか、
色々な人がいて、
同期生のほぼ全員が、
年上でした。
大学受験の浪人、
留年、
転編入学、
大学院卒、
転職、
そんな人ばっかりで、
ストレートの新卒、
などという人は、
自分ぐらいだったのです。
最年少じゃん、
と、有頂天にもなりました。
毎日新聞社は、
とても良い会社でした。
同僚も皆良くて、
世の中にはこんな極楽みたいな場所もあるんだな、
と、救われた気がしました。
仕事も楽しく、
仕事後も楽しく、
何一つ、不満はありませんでした。
会社に感謝もしていました。
でも、内勤から担当員、
つまり新聞販売店のスーパーバイザーになった時から、
状況が変わりました。
同僚は皆良かったし、
会社もよかったのですが、
担当員の仕事は、
新聞販売店から見れば、
悪代官そのものだったのです。
領内から、
搾り取ることしか考えない。
詳しくは言えないが、
不正の噂も飛び交う。
社会の公器
正義のジャーナリズム
のはずの新聞社が、
とんでもないことをしていた・・・
俺は、こんな弱い者いじめをするために
新聞社に入ったんじゃ、無い。
こんな仕事、一生続けることはできない。
良心に反する。
インテリが作ってヤクザが売る
とは本当で、
自分はこのままじゃ、
ヤクザの側じゃないか。
・・・そんなの、嫌だ。
それで、退職しました。
でも、それはシステムが問題だった、
ということで、
会社も同僚も、
みんな良かった。
そういう点では、
幸福なサラリーマン生活でした。
その頃のことは、
受験予備校常勝の塾長を15年もやってきたので、
ずっと忘れていたのですが、
最近、
新聞販売店と新聞社本社との間で
各社、裁判沙汰になっているということを知り、
告発本を取り寄せて、
読んでみました。
ここ数年、
新聞販売店からの告発本が、
どんどん出ているようなのです。
そのうちの1冊を読みましたが、
当時の記憶が蘇ってきて、
なんだか
泣けてきました。
新聞販売店と新聞社本社との関係なんて、
知らないままに
新聞ジャーナリズムに憧れて入社した頃。
その後の楽しかった本社勤務。
新聞販売店と新聞社販売局の現実をどんどん知り、
驚愕した頃。
月の半分が出張だった担当員の頃。
私の人生が救われたし、
世間的にもリベンジできたし、
社内外の皆さんにもお世話になったので、
毎日新聞社には、
感謝の念しかありません。
ありがとうございました。
でも最近まで、
あからさまに嫌なことがあったわけでもないのに
自分が毎日新聞社を辞めたのは、
若気の至りだったのかな、
判断ミスだったかな、
とも思っていました。
辞めた時、
理由もはっきりしなかったので、
根性がない と、
母が泣いた。
二度目の離婚で再び精神的に不安定の母に
申し訳なかった。
それもあって、
自分の過去を公言してこなかった。
でも、
戦前から続く
旧態依然の新聞販売店のシステムのままに、
インターネットとスマホが爆発的に普及し、
新聞購読者が激減した結果、
最近になって、
全国で裁判が多発し、
一般には知られていなかった新聞社の恥部が、
白日の下に晒されることになった。
そこの中枢部に、
かつて、
私は、勤務していました。
そして、良心の呵責に苛まれて、
辞めた。
その理由も、
守秘義務を考えて、
周囲に語ったこともなかった。
思い出さないようにしていた。
でも、時代は確実に、
変わりつつあります。
やはり、
あの仕事を一生続けることなど、
自分には できなかった。
その判断は、
若気の至りでは なかった。
私は、そういう判断しか、
できなかったのです。
ジャーナリストになるには、
力がちょっとだけ足りなかった。
だから営業職だった。
それも、仕方がなかったのです。
それ以外の選択肢なんか、
当時の自分には なかった。
お世話になり
感謝している新聞社に対して、
私にはこれ以上、
内情を語ることはできないので、
新聞販売店と新聞社の関係に興味がある人は、
告発本を、
読んでみるといいと思います。
そこに、
赤裸々に書いてあります。
受験予備校 常勝(常勝教育グループ吉村学院)
勝田教室:茨城県ひたちなか市東石川3-22-1 宮前ビル新館2F
:
TEL : 029-354-1241 (FAXは使っておりませんのでメールかフォームで) : 029-354-1241
Email : info@josyo.jp
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