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学研の学習と科学

ひたちなか市の学習塾・個別指導塾・進学塾 受験予備校常勝の塾長の吉村仁です。

 

科学と学習

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%91%E5%AD%A6%E3%81%A8%E5%AD%A6%E7%BF%92

 

小学生の頃、学習研究社、略して学研という出版社から、科学と学習または学習と科学という名前の月刊誌があって、それを楽しみにしていたものでした。

 

随分昔のことなので、ほとんど忘れていたのですが、 Wikipedia で調べてみたところ、戦後すぐに学習研究社の主な出版物という形で出版されたものらしく、そういう歴史的な部分は当時は小学生でしたので全く知りませんでした。

 

こういう知識がインターネットの普及によって一瞬で調べることができるのは、 改めて今はすごい時代だなと思います。

 

ホリエモンではありませんが、最近急激に、マニアでもなければ知らなかったような知識が無料で簡単に手に入るような、とんでもない時代がやってきたんだなということを痛感します。

 

それはともかく、小学生の頃、中学受験をするわけではないので大した勉強をしていませんでしたが、学研のおばちゃんが持ってきてくれる 学研の学習と科学は、小学生の頃の私は大好きでした。

 

楽しみで楽しみで、 早く届かないかなぁと、楽しみに心待ちにしていたものです。

 

当時の私は水戸市立第4中学校の、吉田小学校の学区に住んでいたのですが、現在でも教育熱心な親がそのあたりにはたくさん住んでいると思いますが、 私が住んでいた当時も、教育に熱心な人がたくさんいたことを覚えています。

 

その中で、 Wikipedia にも書いてありますけれども、旦那さんが学校の先生で奥さんが学研のおばちゃんをやっていた人がいて、その家の子供も私よりも1学年下で、親子共々親しくしていたんですね。

 

私の両親は中学校しか卒業していませんけれども、母親が教育熱心だったので、学校の先生をやっているような人と、親しくしていたんですね。

 

親子共々友達みたいな人が、学研の学習と科学を運んできてくれた。

 

そこに書かれている内容に目を輝かせて、付録の知育玩具が楽しみで、本当にワクワクしていたことを思い出します。

 

学習研究社という出版社自体が、「学習」 という小学生向けの本を主力商品として、創業当時から販売していたようですが、元々は学校で学校の先生が販売していたというのですから、 なんとものんびりしていた時代もあったものですね。

 

その後、学校と特定の会社が癒着しているのはおかしいのではないかという批判によって、学研のおばちゃんが配達するというシステムに変わったというのですね。

 

なるほどそれで、元々は学校の先生が販売していたんだけれども、それは禁止になったので、学校の先生の奥さんが配達するアルバイトを始めたということだったんですね。

 

教科書に完全に準拠しているということもあって、 本そのものがものすごく面白かったんですが、それにくっついている付録がまた、 子供心をくすぐる楽しいものだったんですね。

 

https://www.gakken.co.jp/campaign/70th/gakushu/

 

私の小学生時代は、毎月毎月学研の学習と科学を楽しみにしていて、そのご縁もあって、学研のおばちゃんの子供の、一学年下の友達と、 しょっちゅう遊んでいました。

 

その子の家に遊びに行くと、寝転がって本を読んでいるので、何の本を読んでいるのかと思って聞くと、なんと、百科事典を読んでいると答えたものです。

 

百科事典というのは、 たまに持ってきてたまに開いて調べ物をする本だと思っていたものですから、その本を片っ端から読んでいる 友達に、 びっくりしたものです。

 

こんな奴もいるんだなあ、俺にはそんな真似できないなあ、と当時は感じたものですが、そういう友達に刺激を受けたこともあって、小学校6年生からは私も猛然と勉強を始めたんですね。

 

だから、中学校に入学して一番最初のテストでは、いきなり、学年2番の順位を取ってしまった。

 

それで急激に自信を持って、中学校を卒業したら水戸一高に入学するんだ、そのまま学者にでもなるんだ、と、夢を膨らませたものでした。

 

小学校の頃の私は、授業中におしゃべりばかりしていて、授業中に漫画を書いて友達に見せて喜んでいるような子供でしたから、小学校の先生からは目をつけられていたんですね。

 

小学校5年生の時には、当時の担任の先生に猛烈に反抗して、その時代は今とは違って暴力的な時代でしたから、先生に反抗したので、教室の一番後ろに立ってなさいと命令されたんですね。

 

普通の子供は、すぐに謝ると思うのですが、強情な私は、自分が言っていることが正しいと信じていたので、最後の最後まで謝らなかったんですね。

 

その結果、給食も抜きにされて、最後まで謝らなかったので、結局朝から下校時間まで、一日中立たされたままになりました。

 

一日中立ったままでしたので、足がものすごく痛かったのですが、その担任のS先生が間違っていると小5の私は信じていたので、絶対に謝らなかったんですね。

 

そこまで強情で根性のある奴ということで、最後の最後には、騒ぎを聞きつけて他のクラスの先生がやってきて、私を帰宅させたんですね。

 

その担任の女の先生は、すごくヒステリックな所があって、感情的に怒りまくっているのを、なんだか馬鹿にするような気持ちもあったんですね。

 

後になって考えると、多分その女の先生は同僚の先生たちから嫌われていた人なんじゃないかと思います。

 

おそらくすぐに転勤になったので、その後どこに行ってどうなったのかさっぱり分かりませんが、

 

6年生になった時に担任の先生が変わって、その新しい担任の先生が、どういうわけだか私のことを可愛がってくれたんですね。

 

ニコニコして、なんだか贔屓されているように感じました。

 

それもあって、また中学校に行ったらブラスバンドで頑張ろうと決めていたので、小学校では利口だかバカだかわからないような行動をしていましたので、素行を改めようと、子供ながらに考えたんですね。

 

それで、小学校6年生の夏休みから猛然と勉強を開始して、中学校に入学した時には学年トップになってしまったわけです。

 

自分で言うのもなんですが、本気で勉強してみたら、実はそんなにバカじゃなかったみたいなんですね。

 

元はといえば、小学生のうちはテストの点数を100点満点にしようとあまり思っていなくて、そんなことよりも、

学習と科学の、例えば恐竜の話とか、あるいは歴史の話とか、あるいは外国の話とか、はたまた宇宙の話とか、主に理科とか社会のテーマになるようなことにとても惹かれたんですね。

 

読書が好きというわけではありませんでしたので、いわゆる国語の勉強はあまり好きではありませんでしたけれども、学研のおばちゃんの息子の影響もあって、将来は考古学者になりたいとか、 あるいは天文学者になりたいとか、そんなふうに思っていたことも、実は学習と科学の影響がかなりあったんですね。

 

小学生のうちというのは、理科や社会の分野については、勉強というよりも遊んでいるような感覚で興味をかき立てていくのがいいのではないかと、塾長の仕事をしている今でも思います。

 

私の場合は高校1年生の時に父親をぶん殴って両親を離婚に追い込んでしまったこともあって、学者になるような夢は高校時代にはなくなってしまいましたけれども、

もしも毎晩のように父親が母親をぶん殴っているような家庭でなかったら、学習と科学の影響によって、大人になってから本当に研究者になってしまったり、あるいは何かクリエイティブな仕事に就いたのではないかと思います。

 

最盛期には600万部以上売れたというのですから、昭和の時代の学習と科学の影響力というのは、 ものすごくあったのだと思います。

 

私みたいな小学生が、日本中にたくさんいたんですね。

 

実際、学研のおばちゃんの息子は、水戸一高を卒業した後に有名大学に進学して、本当に研究者になりました。

 

家庭環境がまともならば、自分もそういう道に進みたかった。

 

中学時代に最も親しくしていた友達の一人は、水戸一高を卒業した後に有名大学に進学して、やはり研究者になったのでした。

 

その友人も、小学生の頃から、天体関係にものすごく詳しくて、大人しか読まないような本をいつも読んでいたような子供でした。

 

当時の水戸四中から水戸1高に進学した友人は、愛読書が百科事典だったり、高校生でも読まないような難しい本を小中学生の頃から読んでいたり、そういう人が何人もいたのです。

 

後になって考えると、彼らが読んでいた本は、テストには絶対に出題されない内容のものでした。

 

要するにテストに出るとか出ないとか、そういうことではなかったのです。

 

勉強と遊びの境目がないような世界。

 

学ぶということが、ほとんど遊びだったんですね。

 

だからこそ、茨城県内トップの水戸1高に進んで、有名大学に現役で進学したんですね。

 

当時の水戸一高は土浦一高がトップに躍り出るよりも前の時代ですから、正真正銘、茨城県内のトップだったんですね。

 

その後、筑波研究学園都市の発展とともに土浦一高がトップになった時代も20年間ほどありましたけれども、現在はまた水戸一高が県内トップに戻って良かったと思っています。

 

母校ですからね。

 

話を戻すと、当時の私の周囲の頭が良い友人達は、テスト勉強をゴリゴリにするということではなくて、小学生の頃から、遊んでいるみたいに勉強していたんですね。

 

考えてみれば、私の母も教育熱心でしたけれども、ヒステリックに勉強しろと叫ぶような人ではありませんでした。

 

もちろん、漢字を覚えなさい勉強しなさい、そういったようなことは言っていましたけれども、そういうことをギャーギャー言うまでもなく、自分から勉強するようになったんですね。

 

そうなったきっかけは、小学校の学校の先生に猛反抗したことだったり、正反対に贔屓されたことだったり、そんなこともあって、教える立場の人に対して不信感を持ったことがあったんですね。

 

勉強などというものは、 他人がとやかく言うことではなくて、自分からやっていくものだと思っていたんですね。

 

そういう考えになったのも、学研の学習と科学のおかげもあったと思います。

 

勉強というのは根本的に楽しいことで、特に理科社会のような勉強というのは、 テストに出るとか出ないとかそういうことではなくて、興味関心を持って、どんどん自分で学んでいくものだと思っていたんですね。

 

理科社会の勉強は、教えてもらうのではなくて、自分から勉強していくものなのだと、昔も今もそう思っています。

 

逆に教えてもらった知識は薄っぺらだったり、 興味が持てない内容だったり、 つまらなかったりするんですね。

 

国語や算数の場合は理科や社会のようにエキサイティングな内容ではありませんけれども、やはり基本的には、自分から勉強していくべきものだと思います。

 

でも小学校のうちに勉強そのものが嫌いになってしまうと、中学生になってから他人からゴリゴリに強制されて勉強することになってしまいますので、悪循環に陥っていくんですね。

 

そうならないためには、やはり、強制ではなくて、小学生のうちに勉強が好きになるように、誘導していくことが大事だと思います。

 

例えばそういう、勉強好きになるために誘導するための道具として、学研のおばちゃんが持ってきてくれる学研の学習と科学というのは、とても効果的なものだったと思います。

 

残念なことに、現在では、学研のおばちゃんが学習と科学を配達してくれることはなくなってしまいましたけれども、

 

スーパー先取り学習を小学部に導入したことも、ゴリゴリに強制するのではなくて、国語や算数がそもそも楽しいものだということを、小学生のうちにわかってもらいたい、という気持ちからなんですね。

 

スーパー先取り学習の場合は国語と算数ですけれども、国語の文章の中に理科や社会の要素も含まれていますので、興味を持ったことについてはどんどん自分で調べていく、そうなるように誘導したいと思っています。

 

そういうわけで、中学生になってしまって中間テストや期末テストや学年末テストの点数が悪いと青くなる前に、小学生のうちこそ、最も大事なのだということですね。

 

小学生のうちに、テストに出ても出なくてもそんなことは全く関係なしに、勉強そのものを楽しんで、まるで遊んでいるように、自分から勉強したくなるように仕向けていく。

 

そういうことが、とても大事なことだと思います。

 

小学生は3学年以上先取り学習・スーパー先取り学習

 

 

 

 

 

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