ひたちなか市の学習塾・進学塾・個別指導塾 受験予備校常勝の吉村仁です。
茨城高校と常磐大学高校と大成女子高校の一般入試の日でした。
私立の高校には女子高というのが今でも残っていて、県立高校にも事実上の女子高の状態をキープしている高校というのもありますよね。建前は共学のはずですけれども、事実上、水戸二高と水戸三高は女子高の状況ですよね。
一方、不思議なことに男子高というのは消滅してしまいましたよね。
小学校高学年から中学生や高校生の時期というのは、女の子の方が精神的にも肉体的にも先に大人になる感じですから、女の子の方が何と言うか図々しくなりやすいと言うか、元々の男子校は見事に女の子がどんどん侵略していくような状況になるわけですよね。
私は水戸一高に入学した時には、男子校だと思って入学したのにあまりにも派手派手な女の子がたくさんいたので驚愕した覚えがあります。男子校だと思い込んでいたので、 当時でも女の子が多すぎると感じましたけれども、現在はさらに女の子の比率が上がっているような感じがしますね。人数制限でもやらないと駄目な気がします。
たくさんの男の子の中に女の子が一人ぽつんといるという状況は意外と平気みたいですけれども、中学生や高校生の頃というのは、その正反対の女の子だらけの中に男の子が一人ぽつんといる状況というのは、ものすごく恐ろしく感じてしまったりするわけですね。まあものすごく居心地が悪い。基本的に女性の方が図々しいからでしょうかね。女性の集団というのは恐ろしいですよね。
ところが世の中全体を見ると、普通はお父さんが主に仕事でお金を稼いできて、お母さんはあくまでもそのサブの立場だったりする場合がほとんどですよね。
会社だけじゃなくて政治なんかを見ていても、男女平等と言いながら、やっぱり男の人の方が政治の場では活躍していることが多い。会社経営者なんかでも圧倒的に男の人が中心になってますよね。
公民で勉強しますけれども男女平等というのは何でもかんでも男女同じにしなさいという意味ではなくて、性別を理由にして不当な扱いをしてはいけないということで、
世の中全体でみると、例えばスポーツの世界は、男女が一緒に競技するということはないわけです。男子の中でトップとか女子の中でトップとか、そういうことが当然に行われているわけですよね。
そういうわけで、学校の先生は完全に男女平等の状況だったりしますので、学校の先生はなんでもかんでも男女同じにしなくちゃならないみたいなことを、強調する傾向が強いと思います。
でも現実の問題として、男女のトイレも別なわけですよね。体育で競争する時も男女別だったりするわけですよね。
そんなわけで、大昔からいつの時代でも、例えば戦争が起こればほとんどが軍人というのは男ばっかりなわけです。単純に言えば男と女が取っ組み合いをすると男の方が腕力が強い場合が多いからですよね。また男性ホルモン自体が闘争本能を引き起こすと言うか、やっぱりオスの方が戦いに向いているわけですね。動物的な側面を見るとこれは間違いないわけです。
そういう現実的なところを見ると、やっぱり人間でもお父さんが稼ぎ頭でお母さんがそのサブ的な役割をしている、という構図というのは、基本的にはやはり変わらないと思います。
その事実に目覚めると、
男の子は女の子の3倍以上頑張ろう
ということになるわけですね。
男の子は女の子の3倍頑張って当たり前
もちろん中には男の子の3倍以上頑張っている女の子もいるわけですけれども、そういうことを女性全体に求めても多分無理がある。
どちらかと言うと思考回路が単純な男の子の方が、スイッチが入ってしまえば3倍でも5倍でも10倍でも、まるでブレーキがぶっ壊れてアクセルしかないみたいに頑張りが効く、そういうことが言えると思います。
草食男子などということが言われますけれども、平和な時代が長く続けばそういう感じになるのは当たり前で、あまり闘争本能剥き出しにするのはかっこよくないみたいな風潮になっていくのだと思いますが、そういうことをあまり真に受けてはいけないのではないかと思います。
なぜかと言うと、野生動物のオスは、やっぱり闘争本能を働かせて、メスよりも頑張る宿命になっている。
だから、受験生に言いたい。
男の子は女の子の3倍頑張って当たり前
だぞ。