ひたちなか市の学習塾・個別指導塾・進学塾 受験予備校常勝の塾長の吉村です。
毎年、ひたちなか市の中学校で、学年順位1位と2位しか取ったことがないとか、中学で学年順位5番以内をとり続けるような人がいますけれども、中学生の塾生全員がそうなのかと言うと、全員がそういうわけではなくて、入ったばかりとか、あるいは本人に、そもそも「良くなるつもりがない」とか、そういった理由で成績が全然良くないという人もいらっしゃいます。
塾長個人の希望としては、塾生全員を学年一位にしたいんですがw、そもそも本人がそれを望んでいないということも多いですね。
生徒「本人が 」自分自身の能力向上にブレーキをかけているわけですね。
というわけで、本人が高得点を望んでいない、悪い成績が大好きという人がいるわけですけれども、そういう人と、うなぎのぼりにあれよあれよと点数や順位や成績を上げ続けていく人の、違いが何なのか?ということを観察していると、気づくことがあります。
それは、成績が悪い人は自分以外の何かを変えようとするが、成績が良くなる・成績がすでに良い人は自分の方を変えようとする、という違いです。
どういうことかと言いますと、成績が良くない人というのは、勉強の内容に限らず基本的に自分自身を変えないで自分以外の何かを変えようとするんですね。
例えば塾長を変えようとするとか、あるいは何かの配置を変えようとするとか、あるいはテキストを変えるとか、要するに、 一言で言うとわがままなんですね。
既にある程度の点数を取っていても頭打ちになって行き詰まる人も、同じことが言えると思います。
自分自身を変えようとしていないわけだから、そもそも向上するはずがない。
それに対して、現状の点数や成績が良くても悪くても、いずれにしても点数や成績が上がり続けて、進化を続けていくような人の場合は、 そもそも自分の方を変えようとするんですね。
例えば、こういう風にした方がいいよという風に指導すると、素直にそうなのかということで自分の行動パターンを変更しようと努力したりする。
自分の現状に問題意識を持っているので、 こちらが何々を調べた方がいいよと言えば、そうだよねということで調べてみる。 こっちの方が能率的だし合理的だよと言えば、そうかもしれないということでやってみる。
いちいちそんな調子ですから、どんどん向上していくし進化していくわけです。
そういうことというのは、勉強に限らずスポーツなどでも同じことが言えるのではないかと思います。
「素直」とか「愚直」という言葉がありますけども、最近は死語になってしまったように思いますが、そういう素直とか愚直といったことを実践している人は、後はそれを継続する継続力さえあれば、時間の経過とともに向上し進化していくわけですね。
というわけで、そういう行動の違いというのは、結局のところ、本人が何を望むかによって違ってくるのだと思います。
結局のところ、本人は平均点ぐらいの点数が大好きだったり、親に怒られない程度の80点ぐらいの点数が大好きだったりする、ということがとても多くあるんですね。
要するに、本人が点数が良くなるということを全く望んでいないということがとてもあるわけです。
目的意識がなかったり、あるいは脳みそが幼稚すぎる子供である場合は、働きたくないとか勉強したくないとかというのは当たり前の話で、親を騙しながら適当なことをやって遊んでいたいというのは、ナマケモノの子供にとっては当たり前ですから。
目的意識も向上心もない子供に、誰が何を言おうが自分自身を変えようなどと思うはずがないわけです。向上しょうとか進化しようという動機がないわけですね。
だからまずは、その子にとっての目的は何なのか、あるいはテストの点数とか成績を向上しようと本人が思うのかどうか、そういったところにメスを入れるようにしています。
本人に動機がなければ、 自分自身を守ろうとして、親とか塾長とか攻撃してくる相手の方を変えようとするだろうし、自分以外の周囲の環境の方を自分にとって快適になるように変えようとするはずです。
そういう何気ない言動とか行動を見ていると、この人にはそもそも自分自身を向上させようという考えがあまりないなということがはっきりとわかります。
自分の方は変えないで自分以外の何かを変えようとする行動パターンは、ちっぽけな自分を守ろうとして自己防衛本能を全開にしている、ということなわけですね。
こういうことは子供でも大人でも同じことが言えると思いますが、特に幼稚な精神状態である子供の場合は、自分の既得権を死に物狂いで守ろうとして、全力で塾長とか親などを、何とかしてごまかそう騙そうとなるわけですね。
ですからまずは、私のことを受け入れるのかあるいは私のことを信頼できるのかということが、とても重要だと思います。
かといって、別に私は教祖様ではありませんので、偉ぶるつもりはありません。それどころか、日頃の授業では、「私のことも含めて」徹底的に疑いなさい、と言い続けています。なぜかと言うと、信じなさいというのは宗教のやることだからです。
まずは信じるのではなくて疑うことによって、本当にそれが正しいのかどうか考えることになるわけですから。
ですからまずは信頼してもらいたいけれども、鵜呑みにはして欲しくないですね。
ただ、何もしない言い訳として反論するとか抵抗するとか、そういうことは何もしないということが目的なわけですので、当然に何も起こらないですね。
私の指導が正しいか正しくないかをできるだけ客観的に判断するためにも、まずは従ってみましょう。
その上でどうしてもおかしいというのであれば、少なくともその子にとっては、おそらく私の指導が間違っている・適切ではないということです。
というわけで、自分の方を変えようとするのか、それとも自分以外の何かを変えようとするのか、その行動パターンの違いは、そもそも向上心があるのか目的意識があるのかということによって、圧倒的に変わってくるわけですね。