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サムライ昇龍 考え方

とんちんかんな議論?

ひたちなか市の学習塾・個別指導塾・進学塾 受験予備校常勝の塾長の吉村です。

 

正しい持ち方とか望ましい持ち方と言われる筆記具の持ち方があります。

 

それは個人的なレベルで言われていることではなくて、小学校や中学校で指導するべき内容が具体的に決められている学習指導要領に書かれている、国家プロジェクトの内容だったりするわけです。

 

 ところが、それがほとんど効果がなくて、熱心な先生は指導することもあるようですが、実際にはほとんど効果がないというのが実態のようです。

 

どうしてかと言うと、もともと2歳か3歳ぐらいの頃に親の指導によって持ち方を覚えてしまってから、数年間も経ってから幼稚園や小学校などで持ち方を直すように指導しても、子供が嫌がるので、結局、親も一緒になって嫌がるからですね。

 

一度覚えてしまった間違えた持ち方を修正することは、現実的には非常に難しいのです。

 

何が問題になるかと言うと、2歳から3歳ぐらいの頃に間違えた持ち方を覚えてしまったことが一番の問題になる。

 

2歳から3歳ぐらいの頃に、正しいとか適切だと言われている持ち方を覚えてしまえば、何の問題もないわけですね。

 

そこで根本的な問題点があって、何かと言うと、持ち方が悪い事がそんなにいけないことなのか?という疑問です。

 

2歳か3歳ぐらいの頃に指導する親がその問題点を認識していない場合、子供が間違った鉛筆の持ち方を覚えてしまうのは当たり前です。

 

私は長い間、勉強の内容だけではなく、子供たちの筆記具の持ち方から書いた文字に至るまで、徹底的に指導してきましたので、持ち方は実はとても大事なんだということを啓蒙していくことが非常に大事だということに気づきました。 

 

例えばネットで検索してみると、正しい持ち方とか適切な持ち方と言われるものが、実は一定していないということに気づくわけですね。

 

一方ではこれが正しい持ち方だとされていて、もう一方では、いやそれは間違った持ち方だという風に書かれているわけです。 

 

なんじゃそりゃ?ということですよね。

 

そうなる理由は簡単です。それは、目的が違うからですね。

 

正しいとか適切とか言う、その目的が、一方では綺麗な文字を書くということで、もう一方では、別の目的だったりするわけですね。

 

だから意見が一致しないということになる。

 

美文字というのが 流行りましたけれども、美しいとか美しくない、そういう目的のために正しいとか正しくないとか議論をすることは、私の守備範囲ではありませんので、そういうことは書道教室の先生にお願いすればいいことです。

 

ですが私の場合は、子供の成績を良くするとか子供を合格させるのが目的になるわけで、成績をアップさせるために正しい持ち方とか、合格する答案を書くために正しい持ち方、ということだけを考え続けている。

 

するとどうなるかというと、成績をアップさせるためにはある程度大量に勉強することが必要になってくるわけで、そのためにはすぐに勉強が嫌になるような持ち方で書いていたのではダメなわけです。

 

つまり長時間、スピーディーに、ある程度大量に文字を書き続けることができるのには、いかに楽にいかに余計な力を入れずに、いかにスピーディーに、いかに効率的に書けるかということが、大事になってくるんですね。

 

そのために正しいとか、最も適切な持ち方は、こういう持ち方だよということがあるわけです。

 

あるいはどれだけ勉強したとしても、誰も読めないような文字しか書けないと言うのでは、合格する答案を書くこと自体ができないわけですね。

 

ということは、美しいかどうかではなくて、正確か不正確かということなわけですね。

 

どれだけ美しくても正確な文字でないとすれば、そんな文字はダメな文字だ、ということになりますね。

 

正確な文字を書くために正しい持ち方というのはあるわけですね。

 

頭がいい人は汚い文字を書く場合が多い、などということが、まことしやかに言われたりしますけれども、これもバカバカしい話で、頭がいい人の方が目的に応じて使い分けるということだと思います。

 

頭がいい人の方が目的に応じて書き分ける傾向があって、

誰に見せるというわけでもなく自分さえ判読できれば良い時には記録するということそのものをスピード重視で乱雑に書く、一方で

答案など、誰かに見せる目的で書く場合には正確な文字を書く、そういうことではないかと思います。

 

数学の計算などでは計算エラーが恐ろしいということもあるので、 自分自身のエラーを防止するために、他人に見せるわけではないけれども、数式などを正確に書く。 

 

授業中に先生が喋っていることをとりあえず記録しておくと言ったように、正確性よりも記録しておくことそのものを重視する場合には、読めるか読めないかギリギリぐらいの文字を書く。

 

そんなふうに目的に応じて使い分けるのが上手い、ということだと思います。

 

誰も読めないほど乱雑な文字しか書けないのに頭がいいなどということはないでしょう。

 

なぜかと言うと、自分が書いた文字が目から脳に行ってぐるぐる回ることで反芻する、記憶が定着する、という効果もあるので、ある程度正確な文字を書くことができなければ、成績が良いなどということはないでしょう。 

 

頭の中にあることを文字などで書いてみることを「外在化」などと表現することありますが 、頭の中の情報が整然としている場合は書き出すことも整然としているわけですね。

 

目的に応じて使い分けるということは必要になるわけですね。

 

私が学生の時にも万年筆を愛用しましたけれども、それはなぜかと言うと、 ほとんど手に力を入れずに猛スピードで書き続けることができるからでした。

 

その場合は乱雑な文字です。

 

でもテストでバツにされることは嫌なので、答案を書くときには採点者がバツにできないように徹底的に正確に書く。

 

そういうことが自由自在にできる持ち方は、どれが正しいと言えるのか。

 

そういうことだと思うんですね。

 

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