受験予備校常勝の定義では、1回やった程度は「下見した程度」と言うのです。
あるいは、プリント病の状況です。
分かっていないのに、分かったっぷり。
覚えていないのに、覚えたっぷり。
できていないのに、できているっぷり。
やっていないのに、やってるっぷり。
ぷりぷりぷり。
「つもり」とか「ぷり」では、ダメなのです。
ユダヤの教えでは、人間が全力を尽くしても、8割程度が満点だといいます。
つまり、本人の「できている」というのは、せいぜい、8割なのです。
だから、60点から80点ぐらいの人が続出することになります。
でもそれでは、全く不完全です。
100点が出なければなりません。
なぜならば、義務教育のステージは、満点がとれるはずの内容を、
どれだけ「極めることができたか」が問われるステージだからです。
難易度の問題ではなくて、
正確性とか、精度とか、命中率の問題なのです。
それが、中学校で要求される価値観です。
「つもり」とか「ぷり」では、絶対に100点は出ません。
訓練とか鍛錬とか、あるいはチェックしまくるとか、
そういう要素が必要なのです。
主観的では、全く点数になりません。
客観性が必要なのです。
あなたがどんな人だろうが、関係ありません。
答案に書かれた内容で、100%、評価されてしまう。
紙切れ「だけ」が、評価の対象なのです。
それ以外の要素は、授業態度など、通信簿では評価されますが、
ペーパーテストというのは、
答案に書かれた文字だけで、あなたを評価するのです。
評価というより、あなたに値段を付けるようなものですね。
テストの点数が上がるということは、
あなたの客観的な価値が上がるということです。
勉強するのは、あなたの客観的・社会的な価値・値段を、上げるためです。
答案が全て。
だから、筆記具の持ち方にも、こだわる必要があります。
リアル授業にせよ、映像授業にせよ、
鑑賞しただけでは、「つもり」の段階です。
脅迫観念で100点をとることもできますが、
苦しくて辛い勉強になってしまいます。
脅迫観念ではなくて、
覚えてしまうまで、やりましょう。
命中するまで、訓練しましょう。
日常的に「書く」ことが、大切です。
手を動かすことで、数万の神経回路を同時に動かすのです。
見ているだけでは、全くダメです。
書いて書いて書いて書いて、書きまくるのです。
「だから」持ち方にこだわる必要があります。
試合は練習のように。
練習は試合のように。
勉強も同じです。
毎日の行動が、結果を決めます。