ひたちなか市の個別指導塾・進学塾・学習塾 受験予備校常勝の吉村仁です。
昨日は水戸一高の併願高【茨城高校】の合格発表でしたが、
今年も全員合格しました。
茨城高校は、水戸市あるいは水戸周辺の地区・那珂市ひたちなか市茨城町東海村などに住んでいる人には昔から常識ですけれども、水戸一高の併願高といえば茨城高校だったわけです。
保護者の時代の中学校の先生は、教研テストのデータを持っていたし、さらに内申点も相対評価の時代で5は生徒数の7パーセントと厳格に決まっていたので、絶対的な自信をもって、受かるとか落ちるとか、三者面談でも断言したものでした。
でも、業者テストが廃止になって教研テストがなくなり、さらに絶対評価になって通信簿の付け方もテキトーになってしまったので、現在の中学校の先生は、ほとんど何もデータが無いのに三者面談で志願先を決めなければならないわけです。
だから、保護者と本人が希望すれば、ああそうですか、と、受験させるだけになってしまいました。
滑稽なことに、保護者の時代と同じだと勘違いする人も中にはいて、学校の先生がOKを出したのだから大丈夫だろう、と思ってしまうこともあるようなのです。
でもそれは大きな勘違いで、中にはモンスターペアレントみたいな人もいるので無難に「ああそうですか」と言っているだけで、合格できるとは言っていないわけです。
でも保護者の時代の中学校の先生は、教研テストのデータを持っていたし、さらに内申点も相対評価の時代で5は生徒数の7パーセントと厳格に決まっていたので、絶対的な自信をもって、お前ならば合格確実だ、とか、ちょっと危険だね、などと、かなりの確率で予想することができたのでした。
だから、私が水戸一高を受験した時も、「お前が合格しないで他の誰が合格すると言うんだ?」と、太鼓判を押してくれたものでした。
それでも受験は水物のところがありますから、万が一のための保険として、併願高、滑り止めの私立高校を、だれでも受験したものです。
私の場合は、茨城キリスト高校を受験しようとしたら、担任が「水戸一高の併願高は茨城高校に決まっているだろ」と、受験させてくれませんでした。
昔の中学校の先生は、とにかく受験のデータを持っていましたから、言い切ったのです。
当時の茨城高校は中高一貫の路線にする前で、水戸一高を受験する人は100%受験して、茨城高校に合格したことを確認してから、安心して水戸一高にチェレンジしたのです。
ですから、水戸一高の不合格者は、全員、茨城高校に集結したのでした。
逆に、茨城中学の生徒が、大量に水戸一高を受験したのです。
私立中学受験を勝ち抜いたつわものですから、茨城中学の生徒が、水戸一高の合格レベルを引き上げていたこともありました。
特に、相対評価の時代ですから、茨城中学から水戸一高を受験する人は、公立中学の人よりも通信簿が悪いので、それを挽回するために、そろって高得点をとったものです。
でも、茨城中学から水戸一高を受験する人はゼロになってしまったので、それ以降は水戸一高の合格レベルは下がったのではないかと思います。
当時は千波中や石川中などが無かった時代でしたので、水戸一高に大量に合格する中学といえば茨城中、茨城大学附属中、水戸二中などでした。
当時の私の母校の水戸四中からは10人ちょっと水戸一高を受験し、10人以下の合格だったと思います。
現在の水戸四中からは20人ぐらい水戸一高に合格するようですが、受験予備校常勝に水戸市内から通って水戸一高に合格した水戸四中生もいました。
保護者も本人も私の後輩なので、嬉しかったですね。
というわけで、水戸一高の併願高といえば、伝統的に茨城高校だったわけですが、茨城中学から水戸一高を受験することがなくなった結果、茨城高校としての募集枠は65人程度になってしまったので、滑り止めとしての地位は、小さくなってしまいました。
それでも、現在でも合格基準偏差値は65ですので、茨城高校に合格することのステータスは、昔と変わらないのです。
合格基準偏差値65といえば、私立高校の特待ランクの最高レベルですから、やはり合格したことは、大したものです。
というわけで、合格基準偏差値65の茨城高校に、今年も全員合格しました。
おめでとうございます。