ひたちなか市の学習塾・個別指導塾・進学塾 受験予備校常勝の塾長の吉村仁です。
ゆとり教育の真っ最中に年々、子供たちの様子が変わっていくのを身近に接していて実感しましたけれども、
ゆとり教育が100%否定されてから数年経つにもかかわらず、 ゆとり教育以降の小学校や中学校などでの学校での基本的な部分は、ゆとり教育の時代と大して変わらないのではないか、と思っています。
どういうことかと言うと、
かつての日本には日本ならではの長所というものがあって、例えばそれは清潔とか美しいとか規律正しいとか、あるいは以心伝心とか、世界が賞賛するような価値観とか行動規範みたいなものがあったと思うのですが、そういったものは世の中全体の影響だけではなく、小学校や中学校の中で形成されたところがあったと思うのです。
そういった古き良き価値観が、ゆとり教育以降、目に見えて崩れていく、という感じがしていました。
歴史的に見れば、おそらく江戸時代にはそういったものは部分的にしかなくて、 江戸時代の日本人は明治以降の日本人とはだいぶ違っていたようですから、時間厳守とか緻密さとか忍耐とか、いわゆる日本らしさみたいなものは、明治維新以降の帝国主義の時代の軍隊教育に、そのルーツがあるのかもしれません。
日本の歴史を貫いたものというのは感覚的なものはそうかもしれませんが、
高度経済成長の時代に繋がったような富国強兵路線みたいな、そういうものは、明治大正昭和の時代背景によるものかもしれないですね。
そういったものは、ゆとり教育の時代に一気に崩れ去った。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%86%E3%81%A8%E3%82%8A%E6%95%99%E8%82%B2
経済的な変動とか東日本大震災とか、そういった出来事も大きく影響しているんでしょうけれども、学校というシステムで言えば、ゆとり教育以前にはまだ残っていた明治大正昭和の時代を貫くような日本の強さそのものというのは、ゆとり教育によって破壊されたのだと思います。
当初からゆとり教育などというものは馬鹿げていると思っていましたけれども、 やっとそれが否定されて、さあこれからはまともになっていくのかと思いきや、移行期間も含めると10年以上もその影響を受け続けた結果、それ以前にはあった長所が、 どんどんなくなっていったのだと思います。
いや、学校の内部でゆとり教育が否定されたとしても、その時代に教育を受けた人は、否定された後もその影響を受け続けたのですね。
2018年度の中2と中3は、小学校時代にゆとり教育を受けたので、その記憶が未だに続いているわけですね。
現在の中2が高3になるまで、2022年度まで、ゆとり教育の影響は続くのですね。
ゆとり教育の導入の時には、学校での授業の時間指導が減ったというだけではなくて、 勉強内容そのものが最大で3割程度削減されたと、大騒ぎになったものでした。
2002年度から正式導入されたゆとり教育は完全否定され、「脱ゆとり教育」の時代になって、現在に至ります。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%84%B1%E3%82%86%E3%81%A8%E3%82%8A%E6%95%99%E8%82%B2#%E8%84%B1%E3%82%86%E3%81%A8%E3%82%8A%E6%95%99%E8%82%B2%E3%82%92%E5%8F%97%E3%81%91%E3%82%8B%E5%B9%B4%E4%BB%A3
ゆとり教育から脱却したということから「脱ゆとり教育」と称され、小学校では2011年度(平成23年度)、中学校では2012年度(平成24年度)、高等学校では2013年度(平成25年度)から完全実施された。この教育は、文部科学省によるとゆとり教育でも詰め込み教育でもなく、生きる力をはぐくむ教育とされている。
2020年度以降(小学校が2020年度以降、中学校が2021年度以降、高等学校が2022年度入学生以降)は、新しい学習指導要領となり]、脱ゆとり教育から新しい教育へ変わる。
教科書のページ数が増量された(反復学習の増加)。ただしページ数が増加した一方、学習内容については2002年以前の水準に完全に戻っているわけではない。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AD%A6%E7%BF%92%E6%8C%87%E5%B0%8E%E8%A6%81%E9%A0%98#2020%E5%B9%B4%EF%BC%88%E5%B9%B3%E6%88%9032%E5%B9%B4%EF%BC%89_-
既に移行措置が始まりますけれども、 脱ゆとり教育の時代はやっと終わって、小学校の高学年に英語が正式な教科に加えられるのですね。新しい教育方針は、高校でも細かく変わりますね。
でも、ゆとり教育時代の遺産である学校週5日制と、絶対評価は、生き残るわけですね。
もともと学校週5日制というのは、生徒の都合ではなくて先生の都合で、要するに労働基準法との整合性を取るため、日教組が強力に推進したというのですから、政治的な問題なわけですね。
絶対評価を昔の相対評価に戻すとは言っていませんから、年間の時間数と学習内容をちょっと増やしたというだけで、ゆとり教育以前の水準に戻すというわけではないわけですね。
通信簿のつけ方を絶対評価でやるというのは、早い話がさじ加減ということですから、 保護者の時代の相対評価による集団の中でのパーセンテージとは、全く違いますね。
まあ、 評論みたいなことを書いても仕方がありませんので、 ゆとり教育導入の時代から小学生や中学生や高校生を現場で見てきて実感として感じることは、ゆとり教育が導入されて以降、学校での細かいところはコロコロと変わっても、それ以前のものは破壊されたままなんだなということですね。
一言で言うと、それ以前の学校教育を中心とした小学生中学生高校生といった世代の勉強の様子というのは、明らかに変わったように見えるということですね。
少子化と受験圧力が下がる一方であるということ、そういったことが拍車をかけているのでしょうが、昔の日本人が持っていたような美徳というのは、年々なくなってきているように思います。
もちろん、家庭教育などにある個人差はありますけれども、全体的に言って、最近の若い子達というのはまるで外人のようになってきたなあ、 と感じます。
筆記具の持ち方はめちゃくちゃ、文字もめちゃくちゃ、勉強のやり方もめちゃくちゃ、精進みたいなことはまずしないし、目的や目標を持って努力することがまるでかっこ悪いことであるみたいな、そしてひ弱な感じと言うか、もろい印象と言うか、
おじいちゃんおばあちゃんの世代が持っていた強さみたいなものは、ほとんど絶滅しかけているように思います。
例えば、こちらがNOと言っても、いや、でもいいでしょう、とか、 やるんだよと指導しても、結局やらないとか、かつての日本人では考えられないような、まるでどこかの国の外国人みたいな、無秩序な感じになってきているようです。
昔も今も成績が悪い人というのはいましたので、そういう感じというのは成績が悪い人は昔からそうでしたけれども、最近の若い子達は、成績が良い人でもそういう感じになってきた。
まあそうなってくると、日本という国の力は弱くなっていきますね。
ほとんど資源もないのになぜ日本が世界有数の強い国になれたのかと言うと、やはりそれは、
国内のトップレベルの人たちの頑張りだけではなくて、実は、国内の最低レベルが世界的に見ると最高レベルだったということだと思います。
あるいは、天才的英雄的なほんの一握りの人の頑張りではなく、草の根レベルの、言ってみれば平均的な日本人のレベルが世界的に最高レベルに高かった、ということだと思うのです。
それ自体がジリジリと、下がってきているように感じる。
まだおじいちゃんおばあちゃんたちが頑張っていますから、今のところは何とかなっていますけれども、そういう人たちが引退したりあるいは亡くなったりして減り続けていくと、この国はどんどん弱くなっていく一方なんだと思います。
一体一年のうちに何回あるんだというほど、三連休がありますけれども、ゴールデンウィークは10連休などと言ったように、要するにサボることばかりを教育していくと、この国はどんどん貧乏になっていく一方なんだという気がします。
ヨーロッパのような数百年間に渡る資本の蓄積もないし、アメリカのように世界のスタンダードをコントロールするような政治力もないし、イスラム諸国のような鉱産資源もないし、なんと言うかナイナイ尽くしなわけですから、教育こそがこの国の資源そのものなんだと思います。
私は小さな塾長にすぎませんけれども、伝教大師が言ったように、能力なりに関わりを持った子供たちがレベルを上げるようにすることで、一隅を照らす。
ひたちなか市と、ネットでの通信生だけですけれども、欧米の真似事ではなくて、世界に誇れる日本人を育成する。
そういう志で、今日も授業です。