ひたちなか市の学習塾・進学塾・個別指導塾 受験予備校常勝の吉村仁です。
子どもに楽しく遊んでいるように勉強してもらえれば、それが理想だという保護者の方がいらっしゃいました。
なるほど、それは理想でしょう。
ただし、小学生までのお子さまに限ったことでしょうが。
でも、その保護者の方のお子さまは、なんと、高校受験をひかえた中学生だったのです。
その人から見れば、中学生のお子さまは、数年前まで小学生だったので、その記憶が強いのでしょう。
いつまでも幼児だと思っている。
でも、肉体的には、大人になりつつある。
知恵遅れじゃあるまいし、数年前まで小学生だったからといって、高校受験をひかえた中学生に
「楽しく遊んでいるように勉強してもらえれば、それが理想だ」
は、無いでしょう。
もちろん、500点満点で50点しかとれなくても合格を出す県立高校というのもあるし、
30点平均でも入学させる私立高校もあります。
そういう高校であれば、
「楽しく遊んでいるように勉強してもらえれば、それが理想だ」
のままでも、通用するかもしれませんね。
でも、高校受験というのは、義務教育の最終段階、つまり、国が用意した最低限度の社会人養成プログラムの最終段階なのですね。
まあ、最低限度の教育はしたのだから、コンビニのアルバイトぐらいだったらできるようになったよね?という、それが義務教育の卒業レベルというわけですね。
時間は厳守するんだよ、とか、締め切りは守るんだよ、とか、読める文字を書くんだよ、とか、そういう教育段階ですね。
でも、義務教育の段階が終われば、社会の競争に晒されるわけですね。
栽培が終わった作物の等級付けがされるみたいに、あなたは〇〇の等級ですね、と、等級付けされるわけですね。
最近は、学歴社会ということが喧伝されなくなりましたが、だからといって、階級分け・等級付けが無くなったわけではないですよね。
スポーツ選手の育成と同じように、勉強の面でも、競争があるわけですね。
だとしたら、「楽しく遊んでいるように勉強してもらえれば、それが理想だ」では、済まないですね。
もしかしたら、子どもが高校受験をひかえているのに幼児みたいな扱いしかできないのは、その保護者の方が、勉強しなくても高校に行った経験があるので、世の中そんなもんでしょ、と、まるで競争が無いみたいに世の中を見ているせいかもしれませんね。
その人によって、見え方は全く違いますから。
私は中学生の頃、そのことを強く感じました。
同じものを見ていても、人によって全然、見え方が違っているんだな、と。
同じ赤い花を見ていても、同じ花の同じ色に見ていない、というわけですね。
だからこそ絵画などの芸術があるわけで、当たり前ですね。
だから、同じ高校受験の話をしていても、見えているものが違っている。
私は猛烈に勉強した経験があるので、勉強はスポーツの世界と同じだと思っています。
ものすごく個人差があって、シビアな競争の世界だと。
だから、自分に勝ち続ける、常勝という名前をつけました。
勉強の世界もスポーツと同じで、他人に勝ち続けることは不可能なので、己に勝ち続ける、武道みたいなものだというわけです。
実力をつけていくしか、道は無い。
どんなに勉強しても、他人と比較され続けて、上だ下だと、他人から評価され続けるわけです。
それでは心の平安は無い。
じゃあ、どうすればいいのかといえば、解決策は二つしか無いんじゃないかと思うわけです。
一つは、完全に諦めてしまうこと。
500点満点で50点しかとれなくても、自分はいいと決めてしまうことですね。
それができるのなら、心は平安なはずです。
でも、ほとんどの人が、それは難しい。
じゃあ、どうすればいいのかといえば、もう一つの解決策は、自分で勝手に満点になってしまうこと。
自分にとって最大限の努力をして最高の結果を出せば、もはやどこにも悔いは無く、他人の存在もどうでもよくなるでしょう。
仮に才能があって500点満点がとれれば、誰からも称賛されるし、仮に才能が足りなくてそこまで届かなくても、心の底から仕方が無いと思えるでしょう。
義務教育の最終段階というのは、そういうことの、最初の段階ではないかと思います。
関門ですね。
本質的には、0点をとったからといって、殺されるわけでもありません。
農作物とは違って、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利というのがありますから、幸せに生きていく道を探すことはできるわけですね。
ということは、13歳ぐらいで、何もかもさっさと諦めてしまうことは、賢い選択と言えるかもしれませんね。
もし、心底から諦め切れるのであれば。
多くの人にとって、それは難しい。
だから、ジタバタするわけですね。
さあ、今日も、ジタバタしましょう。