ひたちなか市の学習塾・個別指導塾・進学塾 受験予備校常勝の塾長の吉村です。
ここ10年ぐらいは現在の塾の形態つまり私一人が生徒全員を指導するという形態でやっており、現在の方式になってからの方が合格実績も成績アップの実績も格段に良くなったのが本当のことですけれども、
それ以前は、いわゆる一斉指導の授業の形態をとっていて、講師の人を何人も雇って指導をお願いしていたんですね。
その当時は個別指導のマンツーマンの方法もやっていました。
クラス指導にしても個別指導のマンツーマンの指導にしても、昔からあるやり方なわけですよね。
でも残念ですが、私が直接指導した方がよっぽど成績も上がるし、成果も出たので、当時の講師の人たちは全員辞めてもらいました。
その中に、夏期講習や冬期講習の時期だけ東京大学の学生に講師を頼んでいたことがあるのですが、
現役の東大の学生が雑談の中で言っていたことが、とても印象に残っています。
東大の文系の学生、昔風に言えば東大法学部の現役の学生ですが、大学受験の時に受験勉強していて何に一番苦労したのかと言うと、それは現代文だった
という話です。
常識的に考えると、文系の東大の学生なのだから、現代文つまり国語の読解は得意だと思うと思うのですが、 現実には、それが一番苦手だったというのです。
でも私は、それはそうだろうなと思いました。
なぜかと言うと、受験勉強の基本は、日々の勉強によって、合格するために必要なデータベースを頭の中に作るということなのですが、いくらデータベースを頭の中に作っても、国語の読解だけは対応が難しいからなのです。
どういうことかと言うと、例えば数学の場合、今まで一度も見たことがない問題などというのは解けるはずがないので、受験勉強では、こういう問題はこういう考え方をしてこういう風に解くんだという、いわゆる解法というのがあるわけです。
授業中にしょっちゅう言っている言葉ですが、答えを覚えようとしても無駄な努力で、答えではなくて問題を覚えようとすることによって、問題が正解できるようになるのです。
要するに、問題から答えに至るまでの全てのプロセスを覚えている状態にするということですね。
数学に限らず、英語や理科や社会や、あるいは国語の中では古文の場合は、 いわゆる解き方というのがあって、それを頭の中に蓄積していくことで、合格できる可能性が高まっていくわけです。
ところが国語の読解の場合は、ある程度は解き方というのがありますけれども、その当てはめ方には、他の教科科目単元のようなパターン的な要素というのが少なくて、その都度の判断というのが大事になってくるわけです。
現代文の場合、問題の中に登場する言葉の数がほとんど無限に近いわけですから、それだけでも他の教科や科目に比べると「これだ」という決め手が無いということになっていて、そうなると、絶対正解できるという確信がなかなか得られないわけです。
文章によって論理の展開も色々なわけですから、その論理構成そのものをその場その場で判断しなければならないということなわけですね。
もちろん厳密には、論理構成自体もパターンというのはあるわけですけれども、数学のようにクリアではないわけです。
日本語の言葉そのものなわけですから、意味の広がりにも若干ぐちゃっとしているところがあって、グレーゾーンだらけなわけですね。
言葉の意味には狭い意味とか広い意味とか限定的な意味というのがあって、文章ごと、あるいは問題ごとに、判断しなければならないわけです。
そうなると、現代文つまり国語の読解は、実は最も難しいのではないかということになります。
東大法学部の学生は、そういうことを言っていたわけですね。
つまり、なかなか確信が得られないということなわけですね。
そう考えると、国語の読解以外の方が、正解に至るまでの確信を持ちやすいわけです。
こういうことは高校受験でも同じことが言えて、将来の志望先が文系だろうが理系だろうが、国語よりも数学や英語の方が得点に直結しやすいということが 言えるわけですね。
ほとんどの場合、国語の読解は東大法学部の学生でさえ悩むのだから、ほとんどの学生にとっては、悩むところが違うんじゃないか?というわけです。
受験予備校常勝は、5教科トータルで、優先順位や比重を個人別に具体的に、指導させていただいています。
新年度は、4月からスタートです。