ひたちなか市の学習塾・個別指導塾・進学塾
受験予備校常勝の塾長の吉村です。
学校というのは、
タテマエを教える所です。
たとえば、文武両道。
スポーツも勉強も充実している、
どちらも優秀、という、
学校の先生が言いたがるセリフです。
部活動もいいでしょう。
私が中学時代はブラスバンド部で、
高校時代は柔道部と新聞部で、
大学時代はサイクリング同好会に所属して、
かなり真面目な部員でした。
でも、その経験からも言えることは、
マジになっちゃ いけないよ、
ということです。
若いころの部活の経験は
その後の人生に、
少なからず影響します。
それは、良い点です。
でも、個人的な能力の差
という問題がある。
頭の能力と、
体力的な能力には、
個人差があります。
だから、「一概には言えない」
というのが正解で、
文武両道が素晴らしい
とは、必ずしもいえない、
と思います。
どういうことか?
というと、
小学校から中学校にかけて、
ブラスバンドを一生懸命やりました。
でも、歯並びが悪いので、
マウスピースが痛かったのです。
だから、俺には向かない、と
悟りました。
高校や大学では、続けられないな、
と、分かったのです。
それもあって、
勉強に賭ける覚悟ができました。
また、
高校では柔道部で黒帯をとりましたが、
格闘技は、筋肉などの付き具合とか
心肺機能によって、
向き不向きが ものすごくあるのです。
誰でも格闘家になれるわけではない、
という、当たり前のことです。
水戸一高のことですから、
柔道部の練習はテキトーでした。
「文武両道」と
高らかに宣言するほどのことでもありませんでした。
まあ、暴れたいから暴れる、
という程度のものです。
大学でも自転車をやりましたが、
これも「同好会」なので、
気分転換程度でした。
要するに、
私には、プロになるほどの適性がなかったのです。
そういう、肉体的に中途半端な人の場合、
勉強しか、やりようがなかった、というわけです。
その勉強も、
学者になれるほどでは、ありませんでした。
まあ、国立大学でトップ程度には なれましたが、
なぜかといえば、
絞り込んだから、です。
選択と集中、
ということです。
集中すればするほど、
威力が増す、
という原理です。
平凡な人間でも、
選択と集中をやれば、
勝者になれる。
選択というのは、
捨てるものを決める、
ということで、
それが、例えば部活なわけです。
部活を捨てて、
勉強に賭ける。
そうすれば、
勝てる可能性が高くなる。
文武両道というのは、
あれもこれも、ということです。
人間、誰でも欲が深いですから、
あれもこれも欲しがります。
あれもこれも、やりたがる。
まあ、やりたければ、
あれもこれもやってみたらいいでしょう。
で、これは向かないな、と、
悟るわけです。
悟ったら、
猪突猛進
一点に集中する。
そうでなければ、
何事もうまくいきません。
凡人が成功するには、
一点集中しか、無いのです。
元々無い能力を、
一点に集中させれば、
勝機がある。
元々無い能力を、
あれもこれもと分散させたのでは、
全部、中途半端に終わるのです。
要するに、
競争に勝つことは難しい。
なぜかといえば、
他人も頑張っているから、です。
あれもこれも、なんて、甘い考えでは、
もっと真剣な人に 負けてしまいます。
ということは、
本音で言えば、
文武両道を真に受けた人が、
負けてしまう可能性が高い、
ということです。
世の中にはスーパーマンみたいな人がいて、
走れば優勝、
勉強も1位、
みたいな人も、
中には
いるようです。
そういう、生まれ持った能力が
もともと高い人がいる。
でも、自分も同じだ、
と、錯覚しない方が身のためです。
弱者の戦略
というのが昔、大流行しましたが、
2位以下は、全員、弱者なのです。
2位も200位も、
どっちも弱者。
そういう視点から見れば、
私もあなたも弱者。
ならば、
強者になれる可能性に、
賭けるべきです。
それ「以外」を捨てて、
諦めて、
「それだけ」に賭ける。
たとえば、
勉強だけ、に賭ける。
もともと弱い能力も、
一点に集中させれば、
「そこだけ」ならば、
勝てる。
本音の本音は、
こういうことだと思います。
でも、こういうのは、
世の中のタテマエとは、違う。
かっこわるいし、
美しくも無いのです。
でも、
現実は、こっちだと思います。
色々経験する。
それはそれで、意義はあります。
やってみたければ、
やってみればいい。
でも、本気で勝とうと思うのならば、
あれもこれも「捨てて」
捨てきって、
で、覚悟を決めて、
ただ一つに 全力で 立ち向かう。
もし、それが勉強であるのならば、
私は、
それを全力でサポートしたいと思っています。