ひたちなか市の学習塾・個別指導塾・進学塾 受験予備校常勝の塾長の吉村です。
太平洋戦争で日本がアメリカに負けてから、アメリカが日本を占領するためにやってきて、占領政策の柱として、日本は二度とアメリカに反抗できないように、大日本帝国憲法の正反対の性質を持った日本国憲法を作って、その上で日米安全保障条約つまり日本列島全体をアメリカの軍事基地にすることによって、交換条件として表面的に独立を許したのですね。
モーターパラグライダーで空を飛んでいた時に、法律的に問題がない空のエリアはどこなのかと、空域地図を取り寄せて、日本の空がほぼアメリカの空だということを痛感したことを思い出します。
日本人は日本の空は日本のものだと思い込んでいますけれども、実際にはアメリカがその支配権を持っていて、その許可のもとで日本の自衛隊とか民間の航空機などが空を飛んでいるというのが実態なんですね。
そういうことというのは空中だけではなくて、本当は陸上でもそうなんだということが、公然の秘密になっているわけですね。
軍事的にはそんな風にアメリカによってがんじがらめにされた状態が今に至るまで続いている。
それが良いことなのか悪いことなのかとりあえず置いておいて、戦後の日本の政治家は、そういう戦後の構造の中で、経済に活路を見出したわけですね。
もちろん経済分野においても、例えば国鉄が JR になったとか郵便局がゆうちょになったとか、そういう民営化の流れを見てもわかるように、実際には未だにアメリカの支配下にあるというのは、未だに日本国民には内緒?になっているようなことなんでしょうけれども、
敗戦国としてその悔しさを晴らすためには、軍事的経済的政治的な制約の中で、経済の面において世界のトップを目指すということで、明治大正昭和の生まれのおじいちゃんおばあちゃんの世代は、身を粉にして働いてくれたわけですね。
太平洋戦争で戦争に負けても、明治維新以降の富国強兵の教育を受けた人達は、まるで軍人のように働き続けてくれたわけですね。
その結果として、世界が驚くような経済的な発展を遂げたわけですね。
その子供たちが現在の現役世代なわけですけども、アメリカの軍事政策に由来する教育によって洗脳されているので、アメリカ崇拝主義が浸透しているわけですね。
学校給食でパンや牛乳が与えられたのも、そういう戦後のアメリカの日本支配のための政策の、一環だったのですね。
まあそういうわけで、私も含めて見事にアメリカナイズされてしまっているわけですが、自分が中学生の頃に自分が学校で受けている教育というのは根本的に何かがおかしいと気づいてしまったのは、大人になった現在では、要するにアメリカの都合によるものだった、その歪みに気付いたということだったんですね。
学校の先生というのはそういう流れに便乗?していて、さらに政治的な団体である日教組の影響も強かったので、学校教育というのは根本的にものすごく変なわけです。
構造的にそういうことなので、文部科学省が国内の学校をコントロールするための学習指導要領をコロコロ変えても、学校というシステムの違和感というのは、いつまでたってもなくならないわけですね。
最近まで知らなかったのですが、日本には不登校という言葉がありますけれども、アメリカの場合は州によっても異なるんでしょうが、そもそも学校に行かないと言う自由があるみたいですね。
学校に行かないというよりも学校に所属しない自由があるということですね。
保護者の考え方によって、学校にそもそも所属しないで、在宅で保護者が子供を教育する。
こういうことは日本ではありえないわけですが、日本で言うところのオタクとか変人とか、そういう、社会に今一つ適合できていないみたいな人たちも許容・受け入れる文化がありますから、そもそも学校というものに所属しないという自由があるということなんでしょうね。
そういうわけで、アメリカ人のオタクって、どんな感じなのかと思って調べてみました。
ナード
「内向的」「特定分野への知識が豊富」「文化系の部活動やサークルに所属する」「スポーツに興味を持たない」「恋愛に奥手」などのステレオタイプとともに語られる。総称(複数形)はナーズ (Nerds)。ジョックの対義語として用いられる。認知度は高く、英語圏全域で非常に幅広く使われるスラングと言える。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8A%E3%83%BC%E3%83%89
ジョック
ジョック(英語: jock)とは、アメリカ合衆国における人間の類型のひとつで、狭義ではアスリートの男性を指し、広義ではしばしば同国の社会、とりわけ学校社会における、いわゆるスポーツマンを主とした「人気者の男性」を名詞として総称する。アメリカ合衆国の社会とりわけ学校社会のヒエラルキー(学校内序列/スクール・カースト)の頂点に位置するジョックは、対概念たるナードとともに、米国の社会および文化の象徴の一として語られもする。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%83%E3%82%AF
ギーク
元々は良い意味では使われなかったが、インターネットが注目されるようになるとともに、コンピュータやインターネット技術に時間を費やし、深い知識を有する者が「ギーク」と呼ばれるようになった。2000年頃からけなす意味合いが薄れてきており、自称としても用いられている。日本ではしばしば「オタク」と訳されるが、"geek" には「サブカルチャーの熱心な愛好家」という意味はあまり含まれず、「(コンピュータ系などの)技術オタク」という意味合いに近い。「ナード」と比べて肯定的表現として用いられる。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%BC%E3%82%AF
学校に行っている人で、文化部に所属している人が「ナード」で、運動部に所属している人が「ジョック」で、アメリカ人の大多数はジョックに憧れているという事みたいですね。
野球とかアメリカンフットボールとか、アメリカで人気があるスポーツに秀でている人が「ジョック」と呼ばれる学生スターで、多くの人がそれに憧れているけれども、「ナード」と呼ばれる文化部に所属するような内向的な学生も結構いて、 どちらかと言うとバカにされている。
でもインターネットが普及したことによって、ITオタクは「ギーク」と自称・他称されるようになって、誰もが理解できるパソコンとかインターネットの分野で特殊技能を持っているのだからすごい、というわけですね。
日本でも、IT化の推進によって、IT長者がたくさん生まれたように、ITオタクは別格ですよね。
「ハッカー」というのは無許可で他人のコンピューターに忍び込む犯罪者というのが元々の意味なんでしょうけれども、そんな芸当ができるすごい人ということで、誰もができない離れ業をやってのけるコンピューターの達人という意味もあるみたいですね。
水戸黄門の付き人である風車の弥七は実在の人物で、常陸大宮市にそのお墓がありますが、茨城県中を飛び回るようなすごい盗賊だったというんですね。
そのとんでもない能力を水戸黄門が買ってあげて、情報収集のために、忍びの者とかスパイみたいな感じで、活用したと言うんですね。
江戸時代の岡っ引、同心というのは、 元々泥棒だった者を、処罰しないで助けてあげる代わりに、警察活動を行う末端として武士が活用した、ということみたいですが、江戸時代の特殊技能と言うと、芸術・芸能・工業・工芸・商売以外の分野では、泥棒だったんでしょうか。
そういうわけで、実はコンピューターやインターネットに限らず、要するに特殊技能を持ったような人は、いつの時代でも放っておかないわけで、
オタクみたいな人をどんどん増やしていくということが、これからの時代も大事なことに変わりないんじゃないかな。
もちろんいつの時代でも、自分で考えないで命令に一方的に従うだけの人もたくさん必要ですけれども、
例えばさかなクンみたいな、学校教育にはほとんど全く期待せずに、例えばアメリカみたいに学校そのものに所属しないで在宅で独自の教育を徹底してやっていく、そういうことが許容されるようにした方がいいのかもしれません。
なんでもかんでもお上が用意した学校という装置だけではなくて、言ってみれば変人養成プログラムがあってもいいんじゃないでしょうか。
そういう意味では、アメリカナイズされた現在の若い日本人は、自分とは異質なものを受け入れやすくなってきているでしょうから、
そもそも学校に所属しない自由とか、
保護者が意識的・意図的に、文化的な方面における将来のオリンピック選手を育てる、
そういう方向性があってもいいんではないかと思います。
私が塾を始めた当時は算数オリンピックの主催者側と繋がりがあって、算数オリンピックを推進しようと思いましたが、中学受験に対する疑問を持つようになって、活動をやめてしまいました。
その後実感算数をやりましたが、やはり特殊すぎるということで、やめてしまいました。
今年度からは小学生向けのスーパー先取り学習というのを始めましたが、
この場合は特殊なことをやるわけではなく、学校のプログラムに反しないけれども、学校の制約を取り払ってしまう、ということなので、提供する側としての私も提供を受ける側としての子供も、どちらにもデメリットは何もない。
そういうわけで、
いわゆる「ギーク」とかハッカーのような凄い子供を育成することも可能ですし、もしもそういう状況になれなかったとしても、不都合なことは何もない。
学校というのは制約だらけですけれども、その制約を取り払ってしまうわけですから、子供が生まれながらに持っている潜在能力を最大限に引き出すには、ものすごくいいわけです。
でも、学校の影響力が強くなればなるほど、将来の「ギーク」とかハッカーみたいな子供を育てることは難しくなっていきますので、
そうなる前の、例えば年長さんとか小学校低学年ぐらいの段階から、始めることが、可能性を大きくしていくわけです。
現在のところ、日本の制度では、アメリカのように学校そのものに所属しない自由というのはありませんので、
合法的に学校に所属しているんだけれども、それとは別に自分で勝手にどんどん勉強を進めていく。
例えばオリンピック選手などは3歳とか5歳のうちに、卓球とか体操とかスノーボードとかフィギュアスケートとか、いわゆる英才教育をしてしまって、マシーンかアンドロイドのような特殊技能に特化された人間を作り上げてしまいますけれども、
例えばコンピューターやインターネットなどの分野において、将来の「ギーク」とかハッカーみたいな子供を育てる。
万一、それが失敗したとしても、普通のコースに戻ることもできる。
これって、ものすごくいい話だと思いませんか。
その可能性に賭けてみるというのが、 スーパー先取り学習なのです。
デメリットは何もありません。
メリットだけです。
将来のエキスパートを育てるには小学校のうちが大事ですが、
そういう教育をやってみたいと思う 賢い保護者の方は
他にいませんか?