毎年3月に県立高校入試が行われ、その結果発表をもって受験シーズンは終わるわけですが、塾の運営でいえば、引き続き3月から4月にかけて新年度の生徒募集を行なって新しい塾生が入ってきてくれます。
でも今年2020年は、コロナウイルスが中国から始まって全世界に拡大し、イタリアやアメリカでは医療崩壊の事態も起こり、コロナウイルスの恐怖によって始まりました。
4月5月と学校が完全に休校となり6月も分散登校で、令和2年度の学校は、異常な年度の始まりとなりました。
受験予備校常勝の場合、元々インターネット遠隔授業のシステムはありましたので、それを利用するだけで、塾としては休校せずにずっと続けてきました。
小学校中学校が正常化したのは7月からでしたから、今年度の学校は実質的に7月から始まったようなもので、夏休みが2週間しかないと言う、前代未聞の年度となりました。
塾予備校というのは学校に依存した仇花ですので、学校の日程に合わせるために、今年の夏期講習は土曜日日曜日連続で12時間特訓を毎週行い、その上お盆休みもなく休日が1日もないという、クレイジーな日程にせざるを得ませんでした。
例年でいえば夏休みにあたる7月下旬から8月にかけて、例年通りの夏期講習の時間数と内容を確保しようとして、そのようなとんでもない日程になってしまったわけですが、それというのも奇をてらったわけではなくて、学校のコロナウイルスの休校に対応するためでした。
例年であれば夏期講習というのは週に1日休みがあって、なおかつお盆休みを一週間ほど取って、午前中は宿題をやる時間で午後は塾で講習をやると言う、とてもメリハリのあるものでした。
そういうリズムと言うかメリハリが全くなくなってしまったのは、今年の夏期講習の欠点でした。
春休みから分散登校の期間まで含めると実質的に3ヶ月学校が休みだったような状態になったので、保育園幼稚園時代から長年学校を中心に生活してきた子供達にしてみれば、2020年度は生まれて初めての、年度の初めから長期休暇に始まったわけです。
さあ新年度だという最初の3か月近くが、いきなり学校に来てはいけない、という年の始まり方だったわけです。
その結果、4月には何を勉強して5月には何を勉強してと言った、年間計画みたいなものはぐちゃぐちゃになってしまいました。
学習進度自体が、最初からめちゃくちゃになったわけです。
理想論で言えば学校の進度というのはもともと幻想で、今も昔も東京大学に現役で合格するような人であれば、学校の進度などに付き合っていることはなく、今年度勉強するであろう内容をゴールデンウィークまでの1ヶ月程度でほとんど行ってしまうといったような、自分で勝手にどんどん予習していくというのが、本当に成績が優秀な人の常識だったと思います。
でもほとんどの人は学校に依存していて、どちらかと言うと学校の進度よりも遅い、常に学校で勉強した事を後追い続けている、つまり年間を通して 後手後手に回っている、だからテストの直前になるといつもいつもバタバタバタバタとやっている、そういう人がほとんどだと思います。
どんどん先取りしていくのか、それともいつもいつも後追いしていくのか、この行動パターンの違いは、圧倒的な差を生んでいたと思います。
長年やってきた行動パターンが、今年度は特に、ものすごい差を生んでいるように思います。
先取りということは自主的に自分で勉強を進めていくということで、後追いということは誰かから強制されて嫌々ながら勉強を進めていくということで、同じ勉強するにしても、この違いは圧倒的な違いだと思います。
そういう行動パターンの違いは、もともと目標設定とか信念とか、行動の基となる考え方の違いによるもので、テクニックとか方法論とか表面的な上っ面の問題ではなく、根本的な問題だと思います。
対症療法なのか、それとも根本的な治療なのか、そういう本質的な違いだと思います。
コロナウイルスそのものも、風邪の一種というのが、その本当の姿のようですが、昔から言われていることで、風邪を根本的に治療する薬は今のところ発明されていないというのです。
風邪の原因になるのはウイルスで、ウイルスの性質によって色々な症状が出ますが、その症状を和らげたり抑えたりするのが薬の役割で、ウイルスそのものを薬によって殺すわけではないというのですね。
抗生物質というのがありますが、あれは細菌などを殺す薬であって、 風邪の原因となるウイルスを殺す効果はないというのですね。
だから昔の医者は原因が細菌である可能性もあるということで抗生物質を処方しましたけれども、最近の医者はほとんどの風邪の原因はウイルスだと分かっているので、ウイルスに対しては効果のない抗生物質の処方は、できるだけしないということらしいですね。
ウイルスを殺す根本的な効果が期待できないのだから、やむを得ず対症療法、つまり患者が苦しい状態を少しでも楽にしてあげる、それを治療と呼んでいるわけですね。
風邪が治るというのは体の中に抗体ができて、その抗体がウイルスを駆逐することによって、自然治癒すると言う、人間が本来持っている防御システムに依存しているのですね。
コロナウイルスが厄介なのは、感染力がものすごく強くて、潜伏期間がかなり長くて、しかも一見症状が弱いので油断しがちである、その上、ものすごいスピードで突然変異を繰り返すので、 根本的な解決策がなかなか見出せない、 そういうところのようです。
死亡率そのものは低いのですが、呼吸システムそのものをピンポイントに破壊する、そうすることで最も効率よく人を殺す、そういう悪魔のようなウイルスらしいです。
私もそうですが毎日何回も手を洗い、アルコールなどで消毒をし、できるだけ他人と接触をしないようにする、人が密集している所にはできるだけ出掛けないようにする、 こういったことを徹底することになって、個人的な感染だけではなく日本全体の拡散もかなり抑制されているようです。
日本人の清潔好きが、外国との圧倒的な違いのようですね。
必要以上にベタベタしないという行動パターンも、コロナウイルスの拡散を抑制することにつながっているようです。
キスもハグもしないで、他人と距離をとって挨拶を交わすという文化ですからね。
神社に代表されるように頻繁に手を洗って口をゆすいで、毎日身体や衣服を洗い、 居住空間をできるだけ清潔に保つと言う、日本人の昔からの美徳が、コロナウイルスの拡散の抑制に貢献しているようです。
キリスト教文化圏やイスラム教文化圏では、人間を特別な存在として人間以外を敵対的な存在だとみなす、そういう思想が根本にあるようですが、地球全体の人口とか影響力で言えばそういう考え方の人が圧倒的多数だと思われ、根本的に自然を敵対的なものだと認識すれば、コロナウイルスを撲滅するという考え方は、世界的にはメジャーなようです。
でも日本には古来から、人間は自然の一部でしかなくて、八百万の神に表現されるように、私もあなたも人間以外のあらゆるものも神が宿っていて、 コロナウイルスにさえ神が宿っているという思想があるわけです。
考えてみれば地球上にはありとあらゆるウイルスが元々大昔から生きてきたわけで、このウイルスは良いけれどもこのウイルスは悪いと言うことはなくて、 ウィルスとも共存して生きてきた、ということなのですね。
日本古来の考え方で言えば、また対症療法ではなくて根本的な治療ということで考えれば、ウイルスを撲滅したり全滅させることではなく、いかにしてウイルスと共存していくか、それだけが根本的な治療なのかもしれません。
ウィルスというのは自己増殖機能もない、つまり生物でさえないというのですから、台風や地震といったような天変地異の一つとして、どう付き合っていくか、そういう知恵が求められているのかもしれません。
100年前のスペイン風邪の時には、第一波よりも第二波のほうが被害が大きかったと言うのですね。
その理由は人間の体の中に抗体ができると同時に、ウイルスの方も突然変異を繰り返すので、最初よりも2度目の方が凶暴化する、ということのようです。
今回のコロナウイルスでも、同じようなことが起こるのではないか、と心配している人たちがいますね。
確かにすごいスピードで変異を繰り返しているので、仮にワクチンなどが開発されたとしても、そのワクチンが効くのか効かないのかよく分からないというのです。
ウイルス騒ぎは毎年のようにあり、そのために開発された薬が今回のコロナウイルスに対して効果がある場合もあるし効果がない場合もある、なぜかと言うとウイルスそのものの性質が異なり、一人一人の体質の違いもあるからだ、 ということになっているようですね。
どうやってウイルスを撲滅するかではなく、どうやってウイルスと共存していくか、それだけが根本的な解決策のように思えます。
対症療法は痛みを和らげる効果がありますが、根本的な解決策にはなりません。
根本的な解決策とは、ウイルスそのものが問題というよりも、自分の方の考え方や行動パターン、それ自体なのかもしれませんね。
勉強について言っても、根本的な解決策とは、苦手をなくすとか苦手を克服するとかテクニックがどうのとかそういう表面的なことではなくて、自分自身の考え方や行動パターンそのものを改善することなのかもしれません。
勉強に対する考え方とか勉強する上での行動パターンとか、それがもっとも大切なのであって、枝葉末節の問題をもぐらたたきゲームのように対症療法をして行っても、根本的な解決にはならないのではないかと思います。
受験予備校常勝は、対症療法よりも、根治療法に力を入れています。