受験予備校常勝では、受験勉強は、可能な限り客観性がなければならない、と日常的に指導しています。
客観性とは、誰の目にも明らかか?可能な限り合理的で科学的か?ということです。
たとえば勉強時間数は、誰の目にも明らかなので、客観性があるといえるでしょう。
でも、自宅などでの勉強時間は客観性のない勉強時間、と判断できます。
一時間といっても実質的には30分程度の中身しかない可能性がある、ということです。
いやもしかすると、20分程度の内容しかないかもしれません。
私も受験生の時に経験しましましたが、机に向かっていたのは4時間だけれども後になって計算してみると、そのうちの2時間ぐらいは意識がなくて、しかも解いた問題はたったの2問だった、ということがあるわけです。
それが真実なのに、塾長の指導を受けている塾での勉強時間と自宅などで勉強している勉強時間が同じ勉強時間だというのは、おかしい。
空間の力とか、場が持つパワー、などというものもあるわけで、「どのように」という意味での「勉強の質」は、勉強の場所によって圧倒的に違うはずだ、ともいえるでしょう。
そうでなければ学習塾自体に存在価値が無いことになってしまいます。
学習塾自体に客観性・合理性があるとすれば、学習塾での勉強時間数には客観性・合理性があるけれども、それ以外の誰も見ていない場所での勉強時間数には客観性・合理性が無い、ということですね。
もしかしたら、実質は、半分とか4分の1かもしれない。
一見、客観的に見える「勉強時間数」でさえ、質的に主観的である、ということですね。
誰の目にも明らかで、可能な限り合理的で科学的な、受験勉強をしていますか?
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