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考え方

勉強の環境が二極化=より自由競争に

ずいぶん昔のことになってしまいましたが「ゆとり教育」が始まった時に、 勉強する内容が3割も削減されていいのか?と大騒ぎになりました。

その一方で、「ゆとり教育」というのは社会実験であって、実際にやってみて「そんな学習内容では全く駄目だ」ということを世の中一般に認めさせるために行った、つまり次に来る二極化の時代の前振りだった、という説が「ゆとり教育」が始まった時からありました。

その説を裏付けるかのように、次の学習指導要領では「ゆとり教育」が否定され、政府・文部科学省がわざわざ記者会見で終了宣言するに至ったのですね。

なぜそんな面倒くさいことをやったのかと言うと、一度緩んでしまったものを元に戻すのが相当難しいということは最初から分かっていたことで、もともと勉強する気がないような、勉強に適性がない子供に無理やりに勉強させること自体が無駄なんじゃないかという考え方がベースにあったわけで、 二極化の時代を始めるぞ、というノロシだったわけですね。

勉強ができることもスポーツができることも個性であって、勉強ができないこともスポーツができないことも個性なのだから、その適性=個性を尊重して、昭和の時代みたいに一律に詰め込み教育する必要はないよね?ということですね。

食糧難の時代から世界に肩を並べるぞと全国民が張り切っていた昭和の時代じゃないし、平成のグローバル化により、国内だけで競争している時代でもないし、世界トップレベルの豊かさを手に入れた現在では、国内で一律に競争させるということが無意味になった、ということでしょうか。

世界と競争できるスポーツや芸術の才能をもった子どもには早めにその子の才能を伸ばしてあげるべきで、学校などがそれをサポートするべきだ、というのと同じように、頭脳の面で世界と競争できる勉強の才能をもった子どもにも、学校を含めた社会全体がそれを伸ばしてあげるようにサポートするべきだ、ということでしょう。

「勉強をできるだけやらない権利」を認めてあげて、適性=個性が他にある子どもには早めに勉強以外に向かわせる。

一方、「勉強をできるだけやりたい権利」も認めてあげて、学問・勉強・研究などに適性=個性がある子どもには、早めに世界トップレベルの勉強をさせてあげる。

そのために、早めに勉強以外に向かわせるべき子どもと、早めに世界トップレベルの勉強をさせてあげるべき子どもの、それぞれのために、環境整備をしてあげる。

だから、県立中学校10校設置とか、東京都や大阪府のような都道府県立なのに高校ごとの入試問題、といった動きになってくるのですね。

 

 

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