ひたちなか市の学習塾・個別指導塾・進学塾
受験予備校常勝の塾長の吉村です。
塾長が水戸一高に通っていた頃の話です。
ある時、
オリンピックの金メダリストが
講演会をしました。
彼が、こう言いました。
「君たちは、各中学校で
学年1位をとってきた人たちばかり
なんだよね?
それなら理解できると思うけど、
スポーツでも勉強でも同じで、
実力があるだけでは
金メダリストになれないんです。
技術とか、知識だけでは、
1位には、なれない。
そこが、
2位以下の人との違いなんです。
その違い って、
何だか 分かりますか?」
その時、
水戸一高の同級生たちは、
神妙に聞き入っていました。
私も、
うんうん、分かる
と、興奮しながら傾聴していました。
「俺は頑張ってる、って、
アスリートは全員、頑張っているんですね。
俺も彼もみんな、
死に物狂いで頑張っているわけです。
そうでなければ、
出場さえ、できない。
でも、
あきらかに、
1位と2位には、
圧倒的な差がある。
そのことは、
1位になった人にしか
分からない。
才能とか、努力とか、
それだけでは、
その壁は越えられないんですね。」
水戸一高の生徒だからこそ、
こういう話が理解できるだろう、
と、彼は、
ホンネトークをしてくれたのでした。
その時代には、
教研テストという
茨城県内のすべての中学校が参加している
業者テストがあったのです。
すべての、です。
だから、そのテストでは、
県内順位や県内偏差値が、
モロ でした。
だから、教研テストの合格判定は、
絶対的だった。
さらに、
長者番付みたいに、
茨城県内の成績トップの人が
実名で、公表されていたのです。
だから、
水戸一高の入学式では
奇妙なことが起こりました。
教研テストのトップに常連の人は
ほぼ全員、水戸一高に入学したので、
水戸一高の入学式では、
県内の有名人が、
勢ぞろいしていたのです。
つまり、
一度も会ったことが無かった
他の中学校の猛者の
名前だけは知っている、
という、
まるでセレブみたいな中3生が、
あっちにもこっちにもいる
という、
県内トップの人のパレードみたいな状態だったのです。
面識は無いけど、
ああ、こいつが有名な〇〇君か。
面識は無いけど、
ああ、彼が県内1位の常連だった
神童か。
会ったことは無かったけど、
有名だな。
・・・水戸一高に入学して
最初のうちは、
ああ、こいつか、
ああ、これが彼か、
ああ、知っている・・・
ばっかりだったのです。
その中学校では、
いつも1位。
それどころか、
その地区では、
いつも1位。
さらに、
県内で、
いつも1位。
土浦一高よりも水戸一高の方が
あらゆる点で
完全に上の時代でしたから、
見事に、
県内トップが勢ぞろいしていました。
その後、
教研テストが廃止になり、
実名ランキングも無くなり、
土浦一高が台頭した20年間があり、
ゆとり教育の時代もあって、
まあ、見事に
昔の 茨城県内セレブ みたいな中学生は
絶滅したわけですが、
最近の優等生は、
つまんないだろうなあ、
と、可哀相に思えます。
全県の中学生や保護者や先生や塾講師などから
称賛・絶賛されることが、
まったく?無いのですから。
ヒーローがいなくなった、
そんなふうにも 思います。
それもあってなのか、
1位をとってやる!
という気概で奮闘する中学生が、
少なくなったように思います。
同級生の人数が減っただけでも競争が楽なのに、
さらに、
本当の意味でのライバルが少なくなった。
つまらなくなった。
勉強で金メダルをとろうとする人が減って、
勉強で金メダルをとっても、
称賛されなくなった。
「ナンバーワンにならなくてもいい
元々特別なオンリーワン♪」
と、中学生全員に、中学校が歌わせていた
ゆとり教育の時代に、
「ナンバーワンになっても意味がないよ」
と、学校が洗脳したのですね。
その後遺症は、
改善するよりも、
悪化しているようにさえ
思います。
だから、
スポーツの世界のアスリート達を見ると、
清々しく思えます。
勉強だって、
茨城県の全県1位は茨城県に一人だけど、
中学校で1位だってあるのだし、
それも難しいのなら、
たとえば数学だけは1位だ、とか、
社会だけは1位だ、とか、
あると思うのです。
私は、
水戸四中では何度も1位をとりましたが、
水戸一高の1位は、
一度もとれなかった。
でも、
水戸一高で
一度だけ、古文だけは1位だった、
ということが、
忘れられません。
とりたいから1位がとれる、
というほど
簡単ではないからこそ、
とれたことは、
ものすごくうれしいのです。
2位がダメだ、
というのでは ありません。
銀メダルだって、
凄いことです。
でも、
圧倒的に、
何もかもが、
違う んですよ。
・・・その「違い」って、
テクニックでも知識でも無いとすると、
じゃあ、何?
・・・かは、
チャレンジすれば、
分かる時が 来る かもしれません。