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考え方

義務教育の学校というのは、労働者の養成所なのです

塾長は、義務教育というシステムの歴史的背景と構造を冷徹に分析し、学校が本来目的としているのは「個人の幸せ」ではなく「国家の維持」であることを説いています。


1. 学校教育システムの正体

  • 労働者の養成: 憲法が定める「納税・勤労・教育」の三権義務に基づき、義務教育は「将来税金を納められる労働者」を育成するための予備期間として設計されています。

  • 国家運営のパーツ作り: システムにとって重要なのは、個人の成功や幸福ではなく、集団行動ができ、命令に従順で、平均的な能力を持つ「扱いやすい国民」を量産することです。

2. 軍隊教育のルーツ

  • 規律と洗脳: 日本の学校制度は明治時代の富国強兵にルーツがあり、今もその軍隊的な名残(整列、チャイム管理、体育座りなど)が色濃く残っています。

  • 個性の喪失: 幼稚園から中学まで進むにつれ、元々あった子どもの個性や自由が削ぎ落とされ、平均的な「日本人」の型にはめられていくプロセスが「洗脳」であると指摘しています。

3. 塾長自身の違和感とジャーナリズム

  • 不信感からの猛勉強: 塾長自身、子どもの頃からこのシステムに強い違和感を抱いており、それが先生への反発と「見返してやる」という猛勉強の原動力になりました。

  • 変えるための挑戦: システムそのものを変えたいとジャーナリスト(毎日新聞)を目指した経験を経て、現在は塾という場で、この「学校の枠」を超えた真の教育を提供しようとしています。

4. 結論:システムの正体を知り、乗り越えよ

  • 学校は万能ではない: 学校の先生はシステムの歯車(ロボット)であり、枠の外側を教えることはできません。

  • 常勝のメッセージ: 学校評価を絶対視せず、システムが求める「従順な歯車」で終わるか、それを知った上で「自分の人生を切り拓く力」を磨くか。真の教育は、学校という枠組みを外したところにあるという内容です。


一言でまとめると:義務教育は国家を維持するための『労働者養成システム』であり、本質的に軍隊教育の延長線上にある。学校の評価やルールに盲従するだけの『平均的な日本人』で終わってはいけない。システムの正体を見抜き、その枠を超えて自分の個の能力を最大化することこそが、本当の成功への道である」という、社会構造を解体する鋭い分析です。


大学では中学校と高校の教員免許を取るために、大学の講義を受けたり教育実習に行ったりしましたけれども、そうした中でもますます、自分が今まで受けてきた

学校教育のシステムというのは根本的に何かが変だ

という考えを強くしていったのです。

 

そんなことを口に出しては、そう言っているお前の方が問題だと言われてしまいそうなので、一度も口に出したことありませんでしたが、小学校時代にさかのぼって、元はといえば学校の先生に対する不信感そのものが猛勉強を始めたきっかけの一つでしたので、自分のこの違和感の正体は一体何だろうと考えました。

 

憧れて入ったはずの毎日新聞社の東京本社は、ボーナスの支給時期の前になるたびにストライキを行うような、そういう会社の体質に嫌気がさして、さらに毎晩浴びるように酒を飲んでどんちゃん騒ぎしているみたいなそういう社会人生活に未来を感じることができなくて、 3年ほどで辞めてしまいました。

 

そういう結果になった理由の一つは、そもそも大学時代にジャーナリストになりたいという考えを持ったからなのです。

 

もともとジャーナリストになりたかったはずなのに販売局の担当になってしまったので、志とは全く違った現実に限界を感じたということでした。

 

そもそもなぜジャーナリストなりたかったのかと言うと、自分が小学校から受けてきた教育システム自体が、根本的に問題だらけのシステムだと感じていたので、それを違うものにするためには、自分自身が政治家になるかジャーナリストになるしか方法はないと思ったからなのです。

 

ところが、どちらかというと内気な性格ですので、自分自身が政治家になるということは考えられませんでした。

 

衆議院議員の親戚とも全く付き合いがありませんでしたので、政治家になるような環境もなかったと言えます。

 

高校1年生の時に離婚した父親は、その当時の時代背景で、盛んに労働組合の活動もしていました。

 

その影響で、労働組合の思考回路が私の中にも入り込んでいたということがあったかもしれません。

 

また母親の方は、いわゆる判官びいきというのか、弱い者の方の味方をすると言ったような考え方の持ち主なのです。

 

その母親も、やはり労働組合の思考回路が知らず知らずに影響していたのかもしれません。

 

そういう両親の影響を受けていましたので、私は学校の先生になりたいという考えになることはなくて、むしろ、子供の頃に感じていた自分が受けている学校教育は根本的に何かがおかしいという感覚を、さらに長い間持ち続けることになったのです。

 

それから長い時を経て、塾長の仕事をするようになって、自分が子供の頃の違和感が、当たり前のものだったということに気づくことになりました。

 

それはどういうことかというと、学校と言っても色んな学校がありますけれども、そもそも義務教育の学校というのは、日本国憲法の規定に基づいて運営されている学校なのだということです。

 

日本国憲法の規定と教育基本法の規定に基づいて運営されている義務教育の学校は、はっきりとした目的があるわけです。

 

それは何かと言うと、日本国民の三大義務というのは第一番に来るのが働く義務で、2番目に来るのは納税の義務で、 そして3番目に来るのが子供に教育を受けさせる親の義務、ということになっているわけです。

 

小学校の社会科と中学校の公民で勉強しますけれども、日本国憲法というのはもともと大日本帝国憲法のもとで戦争をした結果、アメリカを中心とする連合国に日本が大敗北したので、戦争に勝った側のアメリカが中心になって日本を占領して、その政策として、導入したものだったわけです。

 

はっきり言ってアメリカが作った日本国憲法は、ほとんど権利だらけになっていて、義務としては三つしかないということになっているわけです。

 

日本の国を国として運営していくためにはお金が必要になるわけで、そのために国民からは税金を徴収することになっている。

 

その税金を支払える状態にするためには、国民が現金収入を得られる状態になければならないわけですね。

 

だから、労働する・働くということは権利であると同時に義務になっていて、労働によって稼いだお金の一部を国に税金として納めなさいということが最低限の義務になっているわけです。

 

はっきり言ってしまえば、個人のレベルで言えば必ずしも働く必要はないんですが、国民がみんな働かないと国が税金を得ることができないわけですから、国として経営していくことができないわけです。

 

だから、日本の国を国として経営していくために、税金収入を国が獲得する必要がある。

 

そのために、日本にオギャーと生まれた瞬間に、税金を支払わなければならないという義務が発生することになるわけですね。

 

で、税金を支払うために、日本にオギャーと生まれた瞬間に、全員が働きなさいということになっている。

 

ところが、働けと言われても、働けない人というのがいるわけですね。

 

それが子供なわけです。

 

だから、子供のうちは、勉強する権利があると同時に、まだ仕事をしてお金を稼いでくる能力がないわけなので、まずは勉強しなければならないという義務を負うことになる。

 

厳密に言えば、子供本人にしてみれば働くことを免除されて、義務教育の時間だけは働かないで勉強する権利を行使するために、保護者である親が子供を教育させなければならないという義務を負っているという形を取ってるわけですね。

 

つまり、日本国憲法の考え方からすれば、税金を支払う義務とそのために働く義務とが全ての国民にはあるわけですけれども、子供はまともに働く能力がないので、働く義務を免除する代わりに親に勉強させられるということになる。

 

ということは、義務教育の段階の子供が勉強しているというのは、大人が仕事をしなければならないという義務と、ほとんど同じなのだということです。

 

極端に言えば、大人になってから税金を支払える状態になるための猶予期間・税金を支払えるようになる予備軍としての養成期間が、義務教育の期間だということ。

 

要するに、小学校中学校の義務教育というのは、あなたの幸せな人生のために用意されたシステムなのではなくて、日本の国を運営していくためのシステムとして作られているのだということです。

 

極端に言えば、あなたの人生が幸せだろうが不幸だろうが、 成功しようが成功できなかろうが、そんなことはどうでもいいわけです。

 

はっきり言って、義務教育の学校というのは、労働者の養成所なのです。

 

そういう根本的な構造がありますので、その仕組みを具体化するために教育基本法という法律があって、さらにその法律をもっと具体的にするために学習指導要領というのが決められていて、義務教育の学校の先生達というのは校長先生からヒラの先生に至るまで、そのルールに従って動かされているロボットみたいなものなのです。

 

いやもっと言えば、学校法人である限り、私立の学校であったとしても、根本的には法律や省令などにガチガチに縛られています。

 

柱になっている日本国憲法と教育基本法は直接的にはアメリカが日本を占領している状態で作ったものですけれども、実際にそれを実行するとなると、日本人がもともと持っている考え方が入り込むことになりました。

 

大人達は全員、戦前の教育を受けた人たちですから、宿命的に、戦前の常識も入り込むことになったわけですね。

 

日本国憲法によって、思想の自由とか言論の自由・集会結社の自由ということが保証されましたので、戦前からの流れに反対する人たちもたくさん現れましたけれども、

 

元々義務教育の小学校中学校というものは一人一人の国民のために存在するのではなくて、元々が国を経営していくために作られたシステムですから、労働者を養成するためのシステムは、そのベースが軍隊を作るためのシステムだったりしたわけです。

 

だから義務教育の段階では、決まりを守ることとか集団行動を叩き込んで当然のものだと思い込ませることが、最大の目的なんですね。

 

世界中から見て、東日本大震災のような大災害が起こっても暴動の一つも起こらなかったというのは驚異的なことで、どんな災難が起ころうとも日本人は整然としているということが外国から見ると賞賛されたりしますけれども、そういうことは全部、小学校中学校の義務教育の段階で、骨の髄まで徹底的に叩き込まれたわけですね。

 

赤ちゃんと幼児のうちは自由気ままで個性にあふれていますけれども、幼稚園小学校中学校と段々大人に近づいていくうちに、良くも悪くも個性が少なくなって、従順で大人しくて整然としていて律儀で集団行動を重んじるといったような「日本人」の平均的な姿に近づいていくのは、子供時代に徹底的に洗脳が行われるからなんですね。

 

学校教育には根本的に軍隊の考え方が入り込んでいる、という話を聞いて、びっくりするかもしれませんけれども、元々日本人の歩き方自体が、明治維新の富国強兵の時代に明治政府の軍隊教練によって江戸時代までの歩き方とは違った西洋式の歩き方に変わるように叩き込まれたことによる、というほどですから、私たちが当然だと思い込んでいることは、元々、日本の国を強くするために軍事教練として学校の中に取り入れられたことにルーツがあるのです。

 

例えば体育の時間に体育座りというのをしますけれども、あれも元はといえば軍事教練の一部であって、あの座り方の意味は、上官には絶対服従で無抵抗でなければならない、ということを言葉ではなくて体に叩き込むためのものだったのです。

 

そういうことが分かってくると、もともと小学校中学校の義務教育の段階は、あなた個人の能力を伸ばすためにあるのではなくて、どちらかと言うと上の立場の人間から叩き込まれたことを「余計なことを考えないで」 覚えて、「余計なことを考えないで」 行動・実行できるようになるためにあるのであって、さらに、勝手気ままにやろうとすることを封じ込めて集団で同じような行動ができるようにするために作られたものだったのです。

 

言ってみれば、一定の品質以上の規格にあった人間を大量生産するための「工場」が、学校なのだということです。

 

だから、学校の中にある規格・基準に適合できない人は「不良」と呼ばれることになって、品物という言葉を付ければ「不良品」となり、規格外の扱いになることになったわけです。

 

私たちはそういうことは当然のことのように思い込んでいますけれども、以上のことは産業革命以降の帝国主義の時代に作られた考え方で、それ以前の時代の価値観とは全く違っているわけですね。

 

学校のシステムそのものが、19世紀から20世紀の強い国の運営のために作られたシステムで、

根本的に21世紀には合っていないのかもしれません。

 

 

 

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