塾長は、学歴そのものの是非を問うのではなく、現代社会において「大卒」という切符を手にすることが、どれほど人生の生存戦略として合理的であるかを説いています。
1. 問いの核心:学歴は「選択肢」である
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誤解の払拭: 「学歴がすべてではない」という言葉は真実ですが、それは「学歴が必要ない」という意味ではありません。
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人生のカード: 学歴(特に大卒)は、社会に出る際の「強力な持ち札」になります。その札を持っていることで、選べる仕事や住む場所、人生の自由度が劇的に広がるという現実を直視すべきだと述べています。
2. 「高卒」と「大卒」の埋めがたい格差
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生涯賃金の差: 統計的に明らかな生涯賃金の大きな開きを挙げ、経済的な安定度における大卒の優位性を指摘しています。
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見えない壁: 企業の採用条件において「大卒以上」というフィルターが存在する以上、高卒であることは最初から土俵にすら上がれないリスクを背負うことになります。
3. 「理系・国公立・大卒」の最強ルート
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生存戦略: 常勝が「理系国公立」を勧める背景には、大卒という資格に加え、専門技術と低学費という、最もコストパフォーマンスと将来性が高いルートを生徒に提供したいという願いがあります。
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自分を助けるための勉強: 今勉強するのは、親のためでも塾のためでもなく、将来の自分が「学歴がないために不当な扱いを受ける」ことを防ぐための防衛手段であると説いています。
4. 結論:今しか取れない「切符」を全力で取れ
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時間の有限性: 大人になってから大学を目指すのは、現役時代よりも何倍も困難です。
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覚悟の問い: 「学歴なんて関係ない」という甘い言葉に逃げず、今のうちに全力で「大卒」という最強の切符を勝ち取りなさい。それが将来のあなたを救うことになる、という内容です。
一言でまとめると: 「学歴は人生を自由に生きるための『最強の切符』である。高卒と大卒の間にある経済的・社会的な巨大な格差という現実を直視し、将来の自分が後悔しないよう、今のうちに圧倒的な努力で高い学歴を掴み取りなさい」という、非常に現実的で切実なアドバイスです。
常勝の哲学は、常に「生徒が将来、社会の中でいかに有利に、自由に生き抜くか」という親心のような厳しさに貫かれています
ひたちなか市の学習塾・進学塾・個別指導塾 受験予備校常勝の吉村仁です。
トランプ大統領が当選した時は日本でも大騒ぎになりましたけれども、
なぜ大騒ぎになったかと言うと、大卒の人たちはほぼ全員がトランプ大統領の主張に反対していたにも関わらず、人口的に多数派を占める高卒の人達が反旗を翻して、当選させてしまったからだというのですね。
アメリカの大学というのは入学は簡単ですが猛勉強をして優秀な成績を取らない限り卒業できないシステムになっているので、アメリカには大学中退者が山ほどいると言うんですね。
大学中退ということは学歴は高卒になるわけで、そういう人たちがアメリカの多数派を占めているわけですけれども、政治の中心はもちろんのことを経済的な中心も大卒の人たちに占領されていて、簡単に言うと
大卒の人が高卒の人達を支配しているという構図がはっきりしている
と言うんですね。
私も毎日新聞社に勤めていましたけれども、マスコミもエリートの高学歴の人ばっかりですから、テレビ局でも新聞社でも、いわゆるマスコミには高卒の人はいないんですね。
それでそのマスコミも、政治や経済の中心ということで、大卒の人たちの意見が強いですから、トランプ大統領の主張というのは間違っている、と大々的にキャンペーンを張ったんですね。
労働者階級の世の中のほとんどの人たちが高卒で、マスコミの主張に反対して、トランプ大統領を誕生させた。
簡単に言えば大卒の人が支配的な立場にいて、それに対して不満を持っていた高卒の人たちが一斉に反抗した、そういう革命的な出来事だったんですね。
こういう過激なことが起こるのも、アメリカでは昔から現在に至るまで優秀な人しか卒業できないというような淘汰のシステムによって、支配する側と支配される側をはっきりと分けるということがあるからですね。
日本では大卒と高卒がそれほどはっきりと分かれるということはありませんが、それでも高卒の人達は、日本でも不満を持っている場合が多いのかもしれません。
不満を感じているからこそ、自分は中学校しか出ていないけれども子供は高校まで出したりとか、あるいは大学まで出したいとか、ほとんどの親がそのように考えるわけですね。
自分は苦労しているから子供には同じ苦労させたくないということですね。
ところが現実には、義務教育で勉強する内容と、国公立大学とか知名度がある私立大学などに進学させようとする場合の勉強内容と、その間には強烈なギャップがあるんですね。
そういうことが見えない場合が多いのではないかと思います。
高校受験と大学受験は3倍以上のギャップがある
と考えなければなりませんが、そんなにギャップがあるということが、分からない場合があるんですね。
どういうことかと言うと、保護者の時代から現在でもそうですが、中学校までは義務教育になっていますので、誰でも中学校までは通えるわけです。
でも中学校卒業程度では就職がほとんどなくて、ほとんど全員が高校まではいくわけですね。
高等学校というのは義務ではありませんので、また高等教育を行うという目的からも、高校で行われている授業というのは、中学校とは違って、学校ごとに全く違うんですね。
大学への進学率が高い高校では大学受験に対応するための授業をやっているわけですが、大学への進学率が高くない高校では、学校での授業について行っているだけでは大学受験に対応できないのですね。
でも大学への進学に対応していない高校からも、推薦入学という形で、進学することはできますね。
最近は県立高校でも誇らしげに大学進学何人などと、横断幕とか懸垂幕で大々的に宣伝しているところがありますけれども、各高校ごとに圧倒的に全く違った内容の教科書を使って授業しているので、高校で勉強しましたと言っても、その内容は高校によってそれぞれ違っているわけですね。
大学への進学率が高い高校は、高校そのものが目的というよりも、最終学歴となる国公立大学に進学するための大学進学予備校というのが現実で、
大学に一人しか進学しないような高校の場合は、中学校で学習した内容とあまり変わらないような内容を、3年間もかけて学習していたりするんですね。
国公立大学とかある程度知名度がある私立大学となると、現役で合格するためには、
高校受験に必要だった勉強量の3倍以上の勉強をしなければ、合格することは難しい
と言えるでしょう。
そういうレベルの授業についていくためには、毎日授業の予習をするなどということは当たり前で、さらに復習もしなくちゃならず、学校から与えられる課題もなかなか多いものですね。
量が多いだけではなくて、大学受験を想定しているわけですから、勉強する内容自体も難しいわけですね。
難しいということは理解するまでに時間がかかったりして、さらに理解できたであろうことを定着させるためにも時間がかかったりするんですね。
つまり大学受験のための勉強は、雑でテキトーな勉強ではダメなわけですね。
高校受験のために覚えなければならなかったことよりも量的に多いだけではなくて、内容的にも、高校受験の4倍ぐらい難しかったりする。
ところが問題になるのは、高校も3年間で卒業しなければならないという、時間的な制約があることですね。
こういうことが分かっていれば、高校受験が終わったからといって受験が終わったと考えるのがとんでもない間違いだということがわかるわけです。
高校受験直前期の大変さが3年間続く、ということに耐える覚悟が、大学進学予備校としての水戸一高・緑岡高・水戸二高などの高校には、必要になるのです。
というわけで、高卒ですか?それとも、大卒ですか?
大卒になるなら、
覚悟は おありですか?