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サムライ昇龍 大学受験 高校入試

過剰学習

塾長は、受験における「確実な勝利」を手にするために、単なる理解を超えた「過剰学習」の必要性を説いています。


1. 「過剰学習」とは何か

  • 定義: 「わかる」とか「一度解けた」というレベルで満足せず、そこからさらに、何も考えなくても体が勝手に反応するまで繰り返す学習のことです。

  • 自動化: スポーツや楽器の練習と同様に、知識を「意識的に思い出すもの」から「無意識に使えるもの」へと昇華させるプロセスを指します。

2. なぜ「過剰」である必要があるのか

  • 本番のプレッシャー: 入試本番は、極度の緊張や予期せぬ体調不良(前述のIさんの例など)が起こり得ます。100%の理解度では、本番で80%の実力しか出せず、不合格になるリスクがあります。

  • マージンの確保: 常に「過剰」に準備しておくことで、どんなにコンディションが悪くても、合格ラインを確実に上回る「最低限のパフォーマンス」を保証することができます。

3. 常勝流・反復の基準

  • 回数の哲学: 「3回やれば十分」という世間の常識を捨て、常勝では「6回以上の反復」を標準としています。

  • スピードの追求: 過剰学習の到達点は「問題を見た瞬間に答えまでの道筋が完成している」状態です。このスピードこそが、本番での見直し時間と心の余裕を生み出します。

4. 結論:合格を「運」に任せない

  • 必然の合格: 合格を「たまたま調子が良かったから」という運ゲーにしないためには、過剰なまでの演習によって、落ちようがない状態(必然)を作り出すしかありません。

  • 常勝の環境: 受験予備校常勝は、生徒が自分一人では甘えてしまう「過剰学習」という高い壁を、プロのコーチングと強制力によって突破させるための場所であるという内容です。


一言でまとめると:合格を確実にするには、単なる理解ではなく、緊張や不調に左右されない『無意識の反応』にまで高める『過剰学習』が不可欠である。世間が『やりすぎ』と言うほどの圧倒的な反復こそが、本番で絶対に負けないための最強の武器となる」という、徹底した実戦主義の教えです。


ひたちなか市の学習塾・個別指導塾・進学塾 受験予備校常勝の塾長の吉村です。

 

過剰学習が受験勉強では大事なのではないかと思います。

 

どういうことかと言うと、分からないことがわかるようになれば点数が取れるようになる、というのは正論に聞こえますけれども、実際に問題の演習をやってみると、必ずしもそうではないということがわかります。

 

本人は理解したつもりになっている、わかったつもりになっている問題なのに、実際には正解することができない。そんなことは日常茶飯事です。

 

理解したような気分になっていますけれども、理解というのはそれまでに持っている知識と新しい知識を結びつけた状況なので、 間違って結びついていることも多いのです。

 

要するに本人は理解したつもりになっていますが、本当に理解できていないということです。

 

その状態で問題に取り組んだとしても、そもそも理解が間違っているわけですから正解することはできません。

 

最悪なのは、本人が理解していると思っている問題をたまたま正解できてしまった場合、正しい理解によって正解したわけではないのに、正解できたという結果を捉えて自分は理解できていると思い込んでしまう。

 

勘違いを強化してしまうわけですね。

 

こうなると、相当の時間が経過してから自分の理解は誤りだったということに気がつくことになるか、あるいは気づきを得るまで、問題を解くたびに頻繁にミスやエラーを繰り返すことになる。

 

そもそもの理解していると思っていた状況が勘違いなわけですから、当然の結果なわけですけれども、本人は理解していると思い込んでいるので、いつまでたってもそのことに気がつかない。

 

こうなると悲劇か喜劇ということになってしまいます。

 

理解できていると思っていることというのは、そう思った段階ではまだ正確な理解ではないけれども、それからずいぶん時間が経ってから

ああそういうことだったのか

という具合に、相当後になってから本当の理解がやってくる、理解が深まる、ということは頻繁にあることだと思います。

 

こういうわけですから、分からない 感覚があったことが分かったような感覚になったとしても、その段階では正確な理解からは程遠い場合が、実は多くて、

 

むしろ、分かっているつもりの事の方が実はずっと不完全で怪しい状況にある、ということになると思います。

 

知ったかぶりというのは、本当は全く分かっていないのだけれども本人だけ分かっているつもりになっている、そういうことを表現する言葉ですが、その知ったかぶりの状況に、ほとんどの場合が当てはまるのだと思います。

 

分からなかったことが分かったような感覚になったとしても、実はそれは、まだ分かっていない。

 

「わかっていないこと」と「わかっていること」が混沌としているというのが、実際の状況だと思います。

 

過剰学習というのは、既に知っていると思われること、既に理解していると思われることを、さらに勉強を積み上げていくことです。

 

必ずしも大量の問題をこなせばいいということではありません。

 

何度も言っているように、適当なことをどれだけ重ねたとしても、ますます適当な結果が出るようになるだけだからです。

 

例えば分かったような気分になっていることをさらに違う角度から考えてみる。

 

例えば分かったようなつもりになっていることを、 改めて調べ上げてみる。

 

例えばわかっているはずのことを、色々な切り口の問題で、確認してみる。

 

そういったことが大事なのだと思います。

 

見方によっては、こういうことというのは時間や労力の無駄のように見えますが、

 

そもそも本質的に、例えば100%無駄のない受験勉強などということは理想論であって、100%不可能で、

 

何が無駄で何が無駄じゃないのかというのは程度の問題に過ぎず、 できるだけ効率的な勉強をした方がいいですよという程度のものだと思います。

 

まるで100%無駄のない受験勉強を指導しているというようなことでも言いたいように、予想問題的中、と言ったことを宣伝する場合がありますが、それは100問ぐらいのうちの2問ぐらい命中したとか、そういうことなのであって、2問しか取り組んでいないのに2問ともドンピシャリ命中したということではないのです。

 

例えて言えば、年末ジャンボ宝くじよりもロト6の方が当選確率が高いとかそんな感じですね。

 

受験勉強と言うと、能率とか効率 みたいなことが強調されますけれども、そういうことはある程度は重要ですけれども、

これからの不確実な時代を生き抜いていくためには、トライアルアンドエラーとか、試行錯誤、徹底的に調べ上げる、PDCAサイクル、そういったような実践的な活動を通じて、一見無駄に見えることも積み重ねていくことが、ますます重要になっていくと思います。

 

過剰学習というのは、能率とか効率とか言ったことからすれば良くないことのように見えますけれども、実は、一気に理解のレベルアップ・バージョンアップをするという効果を考えると、 最も重要で効果的なことだと言えるかもしれません。

 

多少の無駄があったとしても、ムダどころではない、 言ってみれば、圧倒的に必要で大切な事だということですね。

 

 

 

 

 

 

 

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