塾長は、学年が上がるにつれて爆発的に増える学習量をこなすためには、精神論ではなく「物理的な筆記技術」が不可欠であると説いています。
1. 学習量の激増と「書く力」
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分量の2倍・3倍: 中学校では小学校の2倍、高校(大学進学)では中学校の3倍以上の学習量が必要になります。
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記憶と手の連動: 手を動かすことで脳の神経回路が活性化し、記憶の定着率が劇的に上がります。しかし、持ち方が悪いと大量に書くことが苦痛になり、勉強そのものが嫌いになるリスクがあります。
2. 学校や習字教室の指導の限界
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低年齢での固定化: 保育園や幼稚園で覚えた「間違った持ち方」は、小学校以降の指導ではなかなか直せません。
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「綺麗さ」と「効率」の矛盾: 習字教室で教わる「美しく書くための持ち方」は、指に力が入りやすく、長時間・高速で書き続けるには不向きな場合があります。
3. 世界で最も正しい「常勝流」の持ち方
塾長は、美しさよりも「楽・高速・長時間」という実戦的な基準で、以下の持ち方を推奨しています。
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脱力と安定: 人差し指と親指の腹で挟み、中指で下から支える。正三角形の方向に力がかかる状態が最も安定し、最小限の力でホールドできます。
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寄りかからせる: 筆記具の軸を人差し指の付け根に預けることで、指の力を極限まで抜き、何時間でも書き続けられる「戦闘体勢」を作ります。
4. 結論:持ち方は「成績」に直結する
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処理能力の向上: 正しい持ち方を身につければ、短時間で大量の演習(反復)が可能になります。
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命中率のアップ: 疲れにくくなることで集中力が維持され、正解率や試験本番でのパフォーマンス向上、ひいては志望校合格に直結するという内容です。
一言でまとめると: 「学年が上がるほど増える学習量を突破するには、指の自由を奪わない『最小限の力で持つ技術』が不可欠である。正しく持てば長時間・高速で書き続けられるようになり、圧倒的な演習量を確保することで成績アップ(合格)を確実なものにできる」という、実戦的な技術論です。
常勝の教えは、勉強の内容だけでなく、こうした「物理的な土台(道具の使い方)」にまで徹底的に合理性を追求している点が特徴的です
筆記具の持ち方が重要である理由
学年が上がるごとに、書かなければならない文字の量は増え続けていくのです。
小学校1年間で勉強しなければならない分量の2倍以上の分量が、中学校に入学した瞬間に必要になります。
ただ見ているだけでは記憶に残りませんから、書かなければならないわけですが、
勉強の量が2倍以上になるということは、書かなければならない量が2倍以上になるということです。
さらにほとんどの人が高校に進学しますが、高校といってもいろいろですけれども
大学進学を考える場合は、中学校の一年間の分量の3倍以上の分量を勉強しなければならなくなります。
ということは、今小学生であったとしても中学校に入ると2倍で、高校に入るとさらにその3倍以上ということですから、
大学進学を考える場合は、単純計算して、小学校1年間の6倍以上の勉強を
数年後には、しなければならないということになります。
筆記具の持ち方の指導が本気でされない理由
学校の先生は学習指導要領という法律に基づいて指導を行いますが、
その学習指導要領には、「筆記具の持ち方の指導をしなければならない」とはっきりと書かれています。
にもかかわらず、なぜ本気で筆記具の持ち方の指導がされないのかと言うと、
実は、筆記具の持ち方を覚えるのはもっと低年齢のうちだからです。
どういうことかというと、実際には保育園や幼稚園の段階で、鉛筆を手に持って文字を書いたりします。
ということは、保育園や幼稚園の段階で必要な持ち方を覚えてしまうということなわけで、
一度覚えてしまった持ち方を治すのは相当な抵抗があるわけです。
残念なことに、指導する側の一割も正しい筆記具の持ち方ができません。
指導する側の一割も正しく持てないのですから、保育園幼稚園の段階で、正しい持ち方を指導できるわけがありません。
その結果、小学校に入学してから正しい持ち方をしなさいと言われても、
すでに何年間も間違った持ち方になってしまっているので、今更直すことができないというわけです。
ゆとり教育以前の保護者は、学校の先生に「我が子に厳しく指導してください」と言ったものですが、
ゆとり教育以降の保護者は権利の主張が強かったりするので、
ゆとり教育以降の学校の先生は、強く指導することができないのです。
その結果、幼い頃に覚えてしまった間違えた筆記用具の持ち方を一生続けることになってしまうわけですが、
子供にしてみれば 周囲の人が誰も言わないのだから、この持ち方でいいんだと勘違いしてしまうわけです。
ところが、筆記具の持ち方が間違っていると、文字や数字を書くのに苦痛を伴いますので、
結果的に勉強が嫌いになる可能性が高いのです。
子供にしてみれば、大変な思いをして書いたにも関わらず、汚いとかダメダメを出されて、書くことが嫌になってしまいます。
綺麗な文字が書ければ良いのか?
だからといって、綺麗な文字を書こうとすると、綺麗な文字を書くために正しいとされる筆記具の持ち方を覚えることになってしまいます。
どういうことかというと、基準が変われば正しいか正しくないことか、そのものが変わってしまうということです。
書道教室などで硬筆習字の指導を受けると、「美しい字を書くための正しい持ち方」を指導されることになります。
美しい文字なのでテストでバツにされることはないわけですが、必要以上に指に力を入れて疲れやすかったりします。
さらに学年が上がってくると、書かなければならない分量が増え続けていくわけですが、
書くスピードそのものがなかなか上がらないことになってしまいます。
するとどうなるかというと、短時間でたくさんの文字を書くということはできないということになるので、
書きながら勉強するのが「はかどらない」ということになってしまいます。
そもそも、なぜ書きながら勉強するのが良いのかと言うと、
手を動かさないで勉強しているよりも、手を動かしながら勉強している時の方が、
神経回路が10倍とか100倍とか凄まじい神経回路を総動員することになります。
書きながら覚えた方が記憶に残りやすいのは、そういう理由なのです。
そうなると、すぐに疲れてしまうので、結局勉強の成果が上がらないということにつながるわけで、
綺麗かどうかということではなく、
テストでバツにされない程度の文字をいかに長時間いかに大量にいかにスピーディーに書き続けることができるのかということが、
学年が上がるほどに重要になってきます。
そういう基準からすると、 硬筆習字の先生が教えてくれた正しい持ち方は、正しくないということになります。
人間の手の構造
人間の手には五本の指がついていますけれども、元々の機能は5本の指が自由自在に動くわけです。
元々自由自在に動く指を、わざわざガチガチに固定して書くというのは、人間の手の構造に合っていないわけです。
例えばピアノとかクラリネットなどを演奏する時には、指がものすごいスピードで自在に動くわけですけれども、
どういうわけだか、文字を書く時にはその指をガチガチに固定して書く人が多いようです。
これはとてもおかしなことで、 出来るだけ指がフリーに近い状態で動くのが理想だと思います。
世界で最も正しいとされている筆記具の持ち方
基準が変わってしまえば、正しいか正しくないかというのは変わるわけで、
テストの採点でバツにされない程度の文字を、
いかに楽にいかに高速にいかに長時間、書き続ける事が出来るのかという基準からすれば、
可能な限り五本の指がフリーに近い状態、つまりできるだけ力が抜けた状態が、最も正しいのではないかということになります。
最も少ない力で最も安定的に筆記具を持つとなれば、 その形はひとつに決まってきます。
人差し指の腹と親指の腹で挟むように持ち中指で下から支えて、正三角形の方向に力がかかるようにすれば最も安定します。
最も安定するのですから、最も少ない力でホールドできるということになります。
さらに人差し指の付け根のところに筆記具の軸のところを寄りかからせるようにすれば、
ほとんど力を入れなくても、筆記具を持っている状態になります。
こうすることによって、何時間も何千文字も書き続けることができます。
その結果、記憶に残ることになって、正解率や命中率が上がることになります。
成績が良くなることに直結するということです。