塾長は、塾における「楽しさ」という言葉の危うさを指摘し、合格を目指す受験生が追求すべき「本当の楽しさ」について説いています。
1. 「心地よい楽しさ」という罠
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お客様扱い: 多くの塾が「塾を好きになってもらうこと」を優先し、生徒を「お客様」として扱っています。友達とお喋りしたり、先生に優しくされたりする「居心地の良さ」を「楽しさ」と勘違いしがちです。
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現状維持: この種の楽しさは、厳しい現実(成績の停滞や実力不足)から目を背けさせる麻薬のようなものであり、志望校合格には一歩も近づきません。
2. 成績が上がらない「お楽しみ塾」
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成果の不在: 「楽しく通っている」と言いながら成績が上がっていないのであれば、それは「学習」ではなく「娯楽」です。
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責任の転嫁: 塾が楽しさを売りにし、親が「嫌がらずに通っているからいい」と満足している間に、入試という残酷な審判の日は刻一刻と近づいています。
3. 常勝が定義する「本物の楽しさ」
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できなかったことができるようになる快感: 以前は解けなかった難問が解けるようになる、模試の判定が上がる、学年順位が100番抜ける。こうした「成長と勝利」に伴う高揚感こそが、追求すべき真の楽しさです。
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ストイックな喜び: 常勝では、10時間特訓や圧倒的な反復といった「苦しいプロセス」をあえて課します。その壁を乗り越えた先にある「自己ベスト更新」の喜びを知る者だけが、真に勉強を「楽しい」と感じられるようになります。
4. 結論:塾は「勝つために行く場所」である
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目的の再確認: 塾は「楽しく過ごす場所」ではなく、「志望校に合格し、人生の選択肢を広げるために自分を鍛える場所」です。
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常勝のスタンス: 常勝は、生徒を甘やかす「お楽しみの場」ではありません。本気で「勝利の快感」を味わいたい生徒のために、最高密度の学習環境を提供する場所であるという内容です。
一言でまとめると: 「馴れ合いや居心地の良さを『楽しさ』と勘違いしてはいけない。真の楽しさとは、圧倒的な努力の末に『成績が上がる』『ライバルに勝つ』という結果を手にした時にのみ得られるものである。常勝は、その『最高の成功体験』を生徒に味わせるために、妥協のない指導を行う場所である」という、結果至上主義の提言です。
ひたちなか市の学習塾・個別指導塾・進学塾 受験予備校常勝の塾長の吉村です。
楽しく塾に通っていればいいのですか?
そういう人も、いるでしょう。
保護者にしてみれば、ちょっと前まで小学生だったので、その頃の記憶が強いので、中学生になっても子供を小学生のように扱ってしまいがちですよね。
親の命令には絶対服従だし、親が思うように子供も行動してくれるものだという風に思い込みがちです。
でも実際には、野生動物で言えば、親の元を離れて巣立ちする年齢になっていて、精神的にも肉体的にも大人に近づいているので、表面的には親に従っているように見えても、実際には全く違う考えだったり希望だったりすることがあるわけですね。
母親の遺伝子が半分、父親の遺伝子が半分、その上に生まれ育った環境が親とは全く違う環境なわけですので、片親が思うように子供も思うという保証はないわけですね。
友人関係によってもかなり影響を受けるし、テレビやインターネットや、勉強を通じて読んだ本に書かれてたことなど、頭の中に詰まっている情報そのものが、親とは全く違うわけですから、精神的には親元を離れてもおかしくない中学生になると、親とは全然違うことを考えているというのは当たり前のことですね。
私個人のことで言っても、小学生の時に考えていたこととか行動パターンとか、中学生の時に考えていたこととか行動パターンとか、当時の母親は全く知らなかったようです。
コミュニケーションをとれば理解できるのかと言うと、遺伝子そのものが違うし、生まれ育った環境そのものも違うので、一見、コミュニケーションが取れているように見えたとしても、頭の中の理解そのものが全然違っていたりするわけですね。
だから話し合えば理解しあえるのかと言うと、そうとも限らないということですね。
子供は生活力がないのだから生活力をつけるまでの間は保護してあげなければならないわけですが、 本当の事を言えば、
子どもが一人で生きていくことができるようになるためにも、できるだけ早い段階で、自己責任で自分の判断で自分の行動をコントロールできるようにサポートしてあげなければ、 体だけは大人になっても、いつまでも依存心が強いだけの精神的に幼稚な不完全な人間になってしまう、そういう危険性があるわけですね。
欧米が何でもかんでも良いというわけではありませんが、欧米的な考え方で言えば、5歳ぐらいで自立して自分の頭で考えて判断するように、欧米の賢い保護者であれば家庭教育をするようですね。
日本でも武士の子供とか大商人の子供などは、必要以上に親がベタベタすることなく、5歳ぐらいの幼い頃から自分の頭で考えて自己責任で自分の行動をコントロールするように、躾けられていたのだと思います。
放任することでもなく、支配することでもなく、付かず離れずの、大人と大人の関係に近い人間関係になるように、昔から賢い保護者は、子供を教育してきたのだと思います。
必要以上に子供に意見を聞いて親がそれに従うとか、あるいはペットでも扱うように腫れ物に触るみたいに子供に接するとか、そういうことは愚かな保護者のすることで、親も子供もお互いに依存し合っているような家庭内での人間関係というのは、成績が良くなる子供の教育方針ではないように思います。
子供の成績を良くしたいのであれば、保護者の子供に対する依存心も、子供の保護者に対する依存心も、お互いに弱くしていかなければなりません。
私の母は学歴は中学校しか卒業していませんが、子供の教育については色々と学んでいて、小学校低学年の頃から「自分の身は自分で守るしかないんだよ」という風に、小学生の私に教え込んでいたものでした。
小学校に入学したぐらいの頃から、できるだけ自立するように教育してくれたんだと思います。
そういうわけですから必要以上に強制することもなく、放っておくこともなく、必要以上にベタベタすることもなく、心地いい程度に一定の距離を置いてくれたと思います。
そういう下地があったので、小学校高学年になると猛然と勉強を始めたのだと思います。
親から命令されたわけではなく、きっかけによって、自分でできるだけの勉強をしなければならないという自覚をしたからですね。
大事なことは、そういうことだと思うのです。
成績が良い、頭の良い子供は、必要以上に他人に依存することはなくて、まずは自分が主体的に勉強していくべきだということが分かっていて、ちょっと嫌な言い方をすれば先生でも講師でも誰でも「利用するものだ」という感覚があると思います。
授業中にはよく言っていることですが、子供にとっての勉強は、本質的に、大人にとっての仕事と同じだと思うのです。
子供の勉強をお稽古事だという風に捉えると、 塾に通わせて楽しそうにしていればいいというような、おバカな話になってしまいますけれども、
子供の勉強を子供にとっての仕事だと捉えると、良い指導者とか良い上司の下で仕事を覚えたらいいという風に、賢い保護者は考えると思います。
子供の依存心を助長するような教育方針は、成績が悪いおバカな子供にしてしまうだけではなく、大人になっても成功できないような人間にしてしまう危険性さえあると思います。
学校というシステムも学習塾や予備校というサービスも、どちらもそういうことは、考慮されていません。
言ってみれば、子供の将来の成功を本当に願うのであれば、知識やテクニックだけではなくて、そもそも、どういう教育方針で何を目指して教育を進めていくのか、というようなマインドセットとか哲学とか信念とか、そういうことが最も大事なのだと思います。