塾長は、「文武両道」という言葉を安易に使う学校の先生の立場と、受験という厳しい現実に直面する生徒が取るべき戦略のギャップを鋭く指摘しています。
1. 学校の先生が「キレイゴト」を言う理由
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仕事の本質: 学校の先生の仕事は、個人の人生に責任を持つことではなく、学級運営やカリキュラムを正確に消化することです。
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評価者としての立場: 先生の役割の半分は生徒の「評価」を決めることであり、個人の将来の成功を保証することではありません。文部科学省などの指針に従う必要があるため、世の中の「建前」を語るのが仕事の一部になっています。
2. 「文武両道」の無理ゲー感
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情報量の差: 現代は江戸時代のように情報が限られた時代ではありません。圧倒的な情報量と高い要求水準がある中で、勉強と部活(スポーツ)を同じ比重で完璧にこなすのは、極めて困難であると断じています。
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塾長の視点: 新聞社や警察官として「世の中の裏側」を見てきた塾長からすれば、建前としての文武両道は「できるものならやってみろ」というレベルの非現実的な要求に見えています。
3. 「仕事」としての勉強
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優先順位の明確化: 趣味やリフレッシュとしての部活に意義は認めつつも、学生の本分(大人でいう仕事)である「勉強」と同等に扱うべきではないと考えています。
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生存戦略: 本当に結果を出したいのなら、甘い言葉に惑わされず、まずは「仕事」である勉強で圧倒的な結果を出すことに集中すべきだという考えです。
4. 結論:誰があなたの人生に責任を持つか
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自己責任の追求: 学校はあなたの人生の責任を取ってくれません。だからこそ、先生が言う「文武両道」という心地よい響きの言葉に逃げず、自分にとって何が最も重要かを冷徹に判断する必要があります。
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常勝のスタンス: 常勝は学校のような「表の顔(建前)」ではなく、結果を出すための「裏の戦略(実利)」を教える場所であるという内容です。
一言でまとめると: 「学校の先生が『文武両道』を説くのは、それが彼らの仕事(建前)だからに過ぎない。しかし、限られた時間の中で真の成功を掴むには、甘い言葉を捨て、勉強を『人生を左右する仕事』として最優先する冷徹な割り切りが必要である」という、非常に厳しい現実主義のメッセージです。
「文武両道」という理想と、受験の「勝負」としての側面。その矛盾をズバリと突く内容です
ひたちなか市の学習塾・進学塾・個別指導塾 受験予備校常勝の吉村仁です。
学校の先生というのは、今も昔も
文武両道というキレイゴト
を言いたがりますね。
なぜだか分かりますか?
それは、学校の先生の仕事とは、
あなたの人生の責任をとることではなくて、
あなたの人生のことよりも学級運営とかカリキュラムを消化することとか、
そっちが仕事だからです。
あなたの人生の責任をとってくれるどころか、
あなたの評価を決める(あなたの社会的評価とか市場価値とか値段を決める)ことが
学校の先生の仕事の半分だからです。
残りの半分は学級運営とかカリキュラムを消化することであり、
どこから見ても、あなた個人の人生の責任などとってくれるはずがないから、です。
そもそも、学校の先生の仕事とは、
文部科学省や教育委員会や校長先生などが決めた通りに「正確に」実行することであって、
塾長の私のように自由に言ったり書いたりしたらクビになる仕事です。
仕事そのものがあなた個人のためではなく、
世の中のためなのです。
だから、もともと、キレイゴトとか、世の中の建前とか、そういうことを担当しているのであって、
たとえば私のような新聞社とか警官みたいに世の中の裏側ばかり見てきた人間の、
間逆なのです。
学習塾や予備校自体が、
もともと世の中の裏側・徒花ですから、
情報量が圧倒的に少なかった江戸時代じゃあるまいし、
文武両道なんて、できるものならやってみろ、
という感じです。
もちろん、
趣味や娯楽や息抜きは必要ですから、
学生にとっての勉強を大人にとっての仕事だととらえれば、
まあ、部活もスポーツも意義はあるのですが、
だからといって、
学生にとっての仕事であるはずの勉強と同じに扱えるわけがない、
と思います。