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夏期講習 勢い

サムライ昇龍

学校の先生が口が裂けても言わないことを言いますね。

塾長は、学校というシステムの「歴史的成り立ち」を紐解き、現代の教育が抱える本質的な限界と、そこから抜け出す必要性について語っています。


1. 学校は「軍隊養成所」として始まった

  • 明治政府の国策: 日本の学校制度は、明治時代の「富国強兵」の一環として作られました。その目的は、国を強くするために「命令に従順な国民(兵士)」を育てることでした。

  • 軍隊式ルールの名残: 集団での行進、一斉授業、チャイムによる管理、校則などは、個人の個性を伸ばすためではなく、効率的に軍隊的な規律を叩き込むための仕組みです。

2. 「平均的な歯車」を作る教育

  • 画一化の弊害: 学校は、みんなが同じことを同じペースでできるようにすることに重きを置きます。これは、組織にとって扱いやすい「平均的な人間」を作るには適していますが、突き抜けた才能や自律的な思考を育むのには向いていません。

  • 先生の限界: 学校の先生は、その「学校という枠組み(システム)」の中で動く公務員です。システムの根幹に疑問を呈したり、枠を壊したりすることは、彼らの立場上不可能です。

3. 学校の枠組みを外す必要性

  • 親を超えたいなら: 塾長は「もし自分の子どもに、自分よりも良い人生を歩んでほしいと願うなら、学校という既存の枠組みを取り外して考える必要がある」と断言しています。

  • 思考の解放: 学校での評価(通信簿)やルールを絶対的な正解だと思い込むことは、自らの成長を制限することに他なりません。

4. 結論:自立した「個」として生きる

  • 常勝のスタンス: 常勝は、学校のコピー(予習・復習の補助)をする場所ではありません。学校が教えない「本当の学びの戦略」や「自分の力で道を切り拓くための知恵」を授ける場所です。

  • メッセージ: システムの一部として生きるのではなく、システムの正体を知った上で、それを乗り越える「個の力」を磨きなさいという内容です。


一言でまとめると:学校制度のルーツは軍隊教育にあり、本質的には従順な『組織の歯車』を養成するためのシステムである。その枠組みの中に安住している限り、真の向上や親を超える成功は望めない。システムを客観的に捉え、その外側にある『自立した個の実力』を磨くことこそが、本当の教育である」という、教育の本質を突く警告的な内容です。


学校の先生が口が裂けても言わないことを言いますね。

 

学校というのは、元々軍隊教育のために作られたものなのです。

 

正確に言えば、明治政府が富国強兵の国策の下で、日本の国を強くするためには教育が大事であるということで、ヨーロッパ式の軍隊式の行進の仕方を叩き込むために、学校を作りました。

 

ですから、それ以前の江戸時代までの教育は、現在の私たちがイメージする学校からはほど遠いものだったのです。

 

明治政府が国民を学校で教育することを始めた時に、どれぐらいのインパクトがあったかと言うと、日本人の歩き方そのものが変わってしまったのです。

 

それ以前の日本人は、何と、手と足を同時に前に出して歩いていたのですが、ヨーロッパ式の行進の仕方を叩き込むために、明治政府が学校で右手と左足を同時に出し、左手と右脚を同時に出す、という歩き方を叩き込んだのです。

 

要するに、テレビで見る時代劇の侍たちの手足の動き方は、史実ではないということです。

まあ、ウソですね。

 

現代の私たちが違和感がないように作り変えているわけですね。

 

もっと言えば、明治政府が全国民に軍隊式の歩き方を叩き込む以前は、日本人の歩き方はほとんどつま先立ちだったのです。

 

かかとから着地して足を振り子のように動かすという動かし方は、ヨーロッパ式の足の動かし方なのです。

 

例えばそういうレベルまで、頭ではなく体に叩き込むために作られたのが学校です。

 

例えば、体育座りという言葉がありますが、あれは上官には絶対服従であるということを子供の頃から身体に叩き込むために行われたことです。

 

江戸時代以前には、そんなものは存在しなかったのです。

 

江戸時代以前には、師匠と弟子ということはありましたが、それは上から目線ということではなくて、 人生の先輩とか 学ぶ者として先輩とか、基本的にそういうことだったようです。

 

軍隊式の命令に絶対服従ということではなかったのです。

 

軍隊式の命令に絶対服従ということを、日本中の全国民に洗脳したのが学校というシステムだったわけです。

 

アメリカに原爆を2発落とされ無条件降伏した日本は、明治大正昭和の政府が行なってきた、もともと軍隊式のシステムである学校の制度を、今度はアメリカに絶対服従するようにうまく活用したわけです。

 

元々がそういうシステムなのですから、どれだけ美辞麗句を並べようが、学校というのはそもそも軍隊式の命令に絶対服従ということを叩き込むために作られたシステムであって、現代的に言い換えれば使う側に都合のよい労働者を大量生産するためのシステムなのです。

 

私は、小学校5年生の時に、自分が受けている学校というシステムは、そもそも何かが根本的におかしいのではないかと気が付いてしまいました。

 

その正体は100%政治的な問題だったのです。

 

私は栃木県の警察官を実際にやりましたから、軍隊式の教育はやろうと思えばやることもできます。

 

また、 中学校と高等学校の学校の先生になるための、教員免許も正式に取得する教育を受けましたから、学校の先生のコピーをすることもできます。

 

でも私はそのどちらもやりません。

 

もしも、自分の子供に、少なくても自分よりもより良い人生を過ごしてほしいと望むのであれば、学校という枠組みを取り外す必要があります。

 

向上したいとか進歩したい進化したいというのは本能で、その本能に基づいて自分の子供をより良くしてあげたいとお望みなのであれば、学校教育のシステムそのものを見直す必要があります。

 

学校だけではなく、その下請けとなっている学習塾や受験予備校などの一般的な固定観念を、突き崩す必要があります。

 

極論すれば、先生ヅラした人が教え組む必要などというものは、そもそも全くないのです。

 

それはただの洗脳です。

 

 向上したいとか進歩したい進化したいという本能に火をつけてあげて、環境を整えてあげて、補助してあげれば良いのです。

 

コーチとかガイドになってあげればいいだけなのです。

 

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