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考え方

受験が近づいているのに、大した勉強をしなかったんじゃないか?

ひたちなか市の学習塾・個別指導塾・進学塾 受験予備校常勝の塾長の吉村仁です。

 

ある高校の先生のお話では、今年の高校1年生は去年、中学校3年生の時に高校受験の勉強をしていて、

受験が近づいているのに、大した勉強をしなかったんじゃないか?

と言うんですね。

 

今までの中学校3年生であれば、秋から冬そして春に向かって受験が近づいてくると、どんどん勉強するようになって、受験の直前期には急激に勉強していた受験生が、ほとんどだったと言うんですね。

 

それなのに、前回の受験の時から、受験直前期になってもあまり大した勉強をしなかった生徒が増えているように、生徒たちを見ていて感じるというのです。

 

去年の受験直前期を思い出して、なるほど、そういう印象というのは私も感じましたけれども、ただ私の感覚では、

去年の中3生がそうだったということではなく、年々、そうなってきている

ということだと理解しています。

 

どういうことかと言うと、ゆとり教育が指定されてからもう随分経ちますけれども、一度緩んでしまったものというのをまた引き締めるというのはとても難しいことであって、ゆとり教育が完全否定された現在でも、 ゆとり教育の亡霊が未だに生きているということだと思うのです。

 

さらに教科書の内容にも出てくるほどですから、子供達も少子化というのは分かっているわけです。同級生の競争相手は年々減り続けていると。

 

名前も聞いたことがないような私立大学が、やたらにあるということも、分かっている。

 

ということは、小学校高学年以上の知能があれば、そこそこの大学に行く程度であれば大した勉強をしなくってもいいんじゃないか?という風に、子どもたちは肌で感じているわけですね。

 

肌感覚で、親がお金さえ出してくれれば、大した努力もしなくてもそこそこの大学ならば行けるんじゃないかと思っている。

 

その状況は年々、楽勝になっている、と。

 

周囲の大人たちを見ても、そんなにガツガツと頑張っているようには見えない。

 

高校受験にしても大学受験にしても、それなりにやっていればそれなりの結果になるんじゃないか?という風に、甘くあまーく子ども達は考えている、というのが、茨城県内に限らず全国的な傾向なのではないかと思います。

 

何度か書いたことがありますけれども、 周囲の子供達がそういう空気に満ち満ちていますから、特に学力が中間的な子供達にとっては、客観的な本当の自分の実力よりも「ちょろいんじゃないの?」と、受験を甘めに考えている。

 

もうちょっと厳しい言い方をすれば、ナメてるような子供がとても増えているのだと思います。

 

特に、トップレベル「ではない」学力の子どもたちが、です。

 

一方、いつの時代でもどんな世の中でも優秀な人というのはいますので、 少数派の優秀の人たちというのは、周りがどんなにだらけていようがナメていようが関係なしに、自分だけはガツガツと頑張っていると思います。

 

ですから、 少数派の優秀な人たちが殺到する高校とか大学というのは、実力伯仲の人たちの戦いになりますので、昔よりも今の方が楽になったということはないわけですね。

 

もちろん情報がものすごい勢いで、しかも無料に近い形で手に入るようになってきましたので、 インターネット以前の受験生たちが苦労したほどの苦労はしなくてもすむようになってきていると思います。

 

そういう意味では、昔よりも今の方がかなり楽になっていますね。

 

塾とか予備校というのは、何でもかんでも自分でやろうとする手探りの効率の悪さを「お金の力で飛び越えようとする」わけで、 塾とか予備校とかそういうところを利用すれば、さらにさらに楽になるわけですね。

 

塾とか予備校が浸透した結果、頑張らない子供がすごい勢いで増えたとも言えるでしょうね。

 

さらに気分的な問題で言えば、東日本大震災を代表として、毎年、天変地異が起こって、昔の江戸っ子の「宵越しの銭は持たない」といったような刹那的な感覚が広がっている可能性もありますね。

 

なんだかんだ、不景気がずーーーーっと続いていて、昭和の頃みたいな好景気なんて永遠に無いんじゃないの?という推測も、頑張っても頑張らなくても大して結果が変わらないじゃないか、という人生観を、子どもたちに植え付けている可能性もありますね。

 

がむしゃらに頑張ったってダメじゃん、というような。

 

でも言えることは、もしかしたら頑張ってもダメかもしれないけれども、そもそも頑張らなければ何も手に入ることは無い、ということですね。

 

口をアングリ開けていたらビフテキが空から降ってきた、などということは、絶対に無いわけで。

 

また、 「手に入れよう」と思わなければ、手に入ることはないとも言えますね。

 

そう考えると、周囲の子どもたちがみんな、良い結果を欲しがっていないとすれば、自分だけがそれを欲しがった場合、それが手に入る可能性が高いということはあるでしょうね。

 

保護者の時代のように大人も子供も日本人全員が頑張っていた、そういう競争の中で勝ち抜くのはものすごく大変なことでしたけれども、 周囲の人々が無欲になっているとすれば、一人だけ強欲になれれば、昔は手に入れることが不可能だった物・不可能だったことが、手に入る可能性が出てきたとも言えるでしょう。

 

受験で合格するといったことは結局、欲望と欲望のぶつかり合いですから、究極的に言えば、強欲な方が、受験競争に勝つ可能性が高いわけですね。

 

欲望が強ければ強いほど、 勉強しようというエネルギーが強いと言えるでしょうから。

 

そういう度合いが弱くなっているわけですから、チャンスだと思うんですけどね。

 

だから私は、 ご縁があったからおいでになっているわけですから、塾生に対して、私に関わった以上、

誰もが否定するような大それた希望や目標をできれば持った方がいいよ

と話します。

 

周囲の誰を見てもそんなにガツガツと頑張っているように見えない環境の中で、自分だけがガツガツと頑張れば、 意外と簡単に競争に勝ってしまって、案外、無理だと思っていたことが実現してしまうかもしれないよ・・・・

 

受験当日が近づいてきてもガツガツと頑張らないというのは、要するに合格しても不合格になっても、どっちでもいいやという感覚が強いからでしょう。

 

その根底にあるのは、私立高校というのはスライド合格を出しますから、そこそこの点数さえ出せれば合格することそのものは実はそんなに難しくないし、

 

私立高校のどこかのランクで合格さえしていれば、子ども本人の頑張りではなく「その私立高校の頑張りによって」大学入試は何とかしてもらえるだろう、といったような、他力本願の考えが根っこにある人が多いのかもしれないですね。

 

そういう感覚の人にとっては、わざわざライバルよりも頑張って私立高校でできるだけ上の特待ランクの合格を獲得しよう!というようなモチベーションが弱いわけで、

 

そういう感覚で県立高校に合格したとしても、元々が他力本願な感覚ですから、高校に入学した後も頑張って少しでも上のレベルの大学に合格しようとは、あまり考えないのでしょう。

 

そういう感覚があるとすれば、偏差値の程度のあまり変わらない大学同士を比較すると、実は就職も収入もそんなに差がないということが、体感的に分かっているということも、あるかもしれません。

 

かといって、ものすごく偏差値が高い大学になると、ものすごく勉強しなければならないということが分かるわけですから、そこまでやらなくても、そこそこ適当にやっていさえすれば、今の日本の制度ではそこそこやっていけるよね、というのがほとんどの子供にとっての正直なところかもしれないですね。

 

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