ひたちなか市の学習塾・個別指導塾・進学塾 受験予備校常勝の塾長の吉村仁です。
ゆとり教育以降、筆記具の持ち方が滅茶苦茶な子どもが激増したと感じています。
筆記具の持ち方というと、幼稚園か小学校低学年の指導内容になるはずですが、それを誰も厳しく指導しなくなったことが、その原因だと思います。
筆記具の持ち方を指導しなくなったのは何故なのか?
評論をしても仕方がありませんので根本的な原因を考えることは省略しますが、ひたちなか市が特殊な地域だとは思えませんので、日本国内の世の中全体の勉強に対する考え方が変容したせいではないかと思います。
どういうことか?というと、ゆとり教育以前は、特に受験勉強については、真剣勝負のスポーツや武道と同じような考え方でやっていたと思うのです。それが、おけいこ事に近い考え方に変わったのかな、と。
真剣勝負のスポーツや武道の場合、たとえばラケットのグリップはこんなふうに握るんだよ、と、正しい道具の持ち方から入るはずです。バットはこんなふうに握るといいよ、とか、「これが正しいやり方だ」というのが明確にあって、それを模範として学ぶ。
初心者なのにいきなり自己流で!・・などということは、絶対に無いと思うのです。ゆとり教育以前は、勉強についてもそういう発想があったのだと思います。だから、筆記具の持ち方についても指導があった。
でも、ゆとり教育以降、なんでもいいんじゃないの?という風潮になった。確かに、真剣勝負でなくてお稽古事みたいな発想ならば、テキトーでいいのです。テキトーだから、グリップなんかどーでもいいじゃん、となる。
要するに書ければ持ち方なんかどーでもいいじゃん、というのは、その結果がどうなろうがどーでもいいじゃん、という発想です。
受験勉強でいえば、成績がどうなろうが合格しようが不合格になろうがどーでもいいじゃん、という発想ならば、持ち方も書き方もどーでもいいじゃん、となるでしょう。
でも、成績も合否もどーでもよくない!私の人生を左右する重大な問題だ!ということであれば、勉強の道具となる筆記具のグリップは、どーでもよくないはずなのです。
結果の元となる筆記具の扱いがどうでもいい?そんなバカな・・・
成績や合否に本気でこだわるのであれば、筆記具という道具の持ち方にもこだわるべきだと思います。
スポーツや武道で使うラケットやバットや武具などと同じ扱いをするべきなんじゃないでしょうか?
作家が手書きの場合、万年筆にこだわる、という話がありますが、キーボードや画面タッチで何でも済ませるようになったせいなのでしょうか?筆記具の扱いが雑になりすぎていると思います。
テストが筆記である限り、どれだけキーボードや画面タッチが一般化しても、筆記具の重要性は学生には変わらないはずです。
筆記式の答案を書くのは筆記具なのだから。
どうしてもそういうことを軽視したい、という場合は、マークシートの試験だけを受けて筆記式の試験は受けなければいいのではないか?と思います。
逆に、筆記式の答案に真っ向勝負するのであれば、筆記具の扱いにもこだわるべきです。
古来、正しいとされる持ち方があるのですから、なぜそれが正しいとされてきたのかの理由も考えて、正しいとされる持ち方をした方が、筆記式の答案に強くなりやすいと思います。