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考え方

それでも教育者か!

ひたちなか市の進学塾・学習塾

受験予備校常勝の塾長の吉村です。

 

 

塾長が水戸一高の2年生の時、

塾長がDVの父親を殴ったことがきっかけで、

両親が離婚した。

 

母を殴る蹴る刃物は持ち出す、

という暴力男で、

不倫はする、

酒乱だ、

とまあ、とんでもない男だった父。

 

だから高校生だった塾長が

父親を殴ったことは、

母や姉を助けるという意味があった。

 

そのことは、

離婚調停の双方の弁護士も

裁判官も、

分かってくれた。

 

だから無事、離婚できたのだが、

そういう男だから、

養育費なんか、

すぐに打ち切られた。

 

そして不動産は高値で売り払い、

不倫相手とすぐに再婚し、

母が作ったはずの不動産を、

5000万円の現金に換えて、

不倫女との生活に使ってしまった。

 

一方、

私と姉と母は、

一気に不動産=住む家も失い、

生活費にも困る程の

貧乏になってしまった。

 

 

そんな、

両親の離婚調停が成立した頃の

忘れられない思い出。

 

 


昔、塾長が幼児の頃、

当時茨城大学の学生だった、

塾長の従兄=母の甥のことを、

若き日の母は、

可愛がっていた。

 

その彼は、

その後、

教員になり、

母のアドバイスのおかげで結婚もしていたが、

 

母の離婚を知ると、

彼は、離婚直後の母に対して、

こう、言い放った。

 

「離婚した以上、他人であるから、

絶縁する」

 

別に、母は、

そいつを頼ろうとしたわけではない。

 

母親である自分は離婚したけれども、

子どもたちには血縁があるのだから、

つまり従兄であることに変わりはないのだから、

絶縁しないでほしい、

と言っただけなのだ。

 

それに対して、

昔の恩義も忘れて、

「教育者」の彼は、

叔父である父の主張が真実がどうかも調べもせずに、

裁判所の判断の確認もせずに、

一方的に言い放った。

 

母とも子供とも、

絶縁する。

と。

 

昔の恩義は チャラなのか。

 

激怒した母は、

「それでも教育者か!」

と、怒鳴りつけた。

そして、

その後、二度と連絡もとらなかった。

 

離婚する直前まで、

永年にわたって世話をしてやった、

という思いがあったので、

「裏切り」に、

激昂したのだ。

 

 

でも、当時高校生だった私は、

ああ、あいつは、

そんなもんだろうなあ、

と、妙に冷めていた。

 

 

で、

それから時が流れて、

大学生の時に

ジャーナリストになりたかった私は、

その後転職して、

この15年は、

教育産業にかかわって、

塾長の仕事をしている。

 

最初の数年間は

普通の塾になろうとしたが、

どうしても、

世にあまたある託児所みたいな塾は、

性に合わなかった。

 

だから今の、

学習特訓所か

受験教習所みたいな

受験予備校常勝になった。

 

親族には警官と教員と公務員が

山ほどいる家系のせいか、

詐欺まがいの教育業界には、

どうしても我慢がならなかったのだ。

 

元々、

ジャーナリストを志望した

自分の個性もあるかもしれない。

 

 


先日、

ある人から

「塾長は教育者ですね」

と、突然、

面と向かって 言われた。

 

言葉の裏には、

「あなたは商売人ではないですね」

という、意味があった。

 

教育者

という言葉が、

色々な記憶を呼び覚ました。

 

 

要するに、普通は、

学習塾も予備校も、

所詮、ただの商売なのだ。

 

なるほど、

数年前に、塾長になってから、

ある中学校の教員に、

「あなたの商売に支障がないように云々」

と、言われたことがある。

 

彼の頭の中には、

学習塾も予備校も、

商売でしかない、

という思い込みがあったんだろう。

 

まあ、実際に、

そういうのが多いのかもしれないが、

 

私は、その教員以上に、

そういう感覚やそういう世界が

大嫌いだった。

 

だから、

最初の数年だけは「普通の」学習塾になろうとしたが、

そんなバカみたいなことは辞めて、

今の、「普通ではない」運営になった。

 

商売としての塾なんか、

クソくらえだ。

 

俺は教育者になってやる。

 

という強い思いで、

昔ながらの学習塾とか予備校の考え方やスタイルを

ぶち壊して、

再構築してきた。

 

それなのに、

その彼は、

学習塾も予備校も金儲けで、

学校の教員である自分こそが教育者である、

という思い込みがあって、

私とは初対面のはずなのに、

私もそうだ、

と決めつけていたのだ。

 

まあ、たんに思いこみが激しい人だったのか、

あるいは、

私に対して、悪意があったのだろう。

 

 

そんなことが数年前にあったので、

久しぶりに

ある教員の人から

「あなたは商売人じゃなくて教育者なんですね」

と、言われたので、

 

教育業界なんか

糞くらえだ、

という思いでやってきたことが

少しは認められたのかな?

と思えて、

 

「塾長は教育者ですね」

という言葉には、

素直に喜べた。

 

 

と同時に、

昔々の、

今は定年退職した元教員の従兄の

離婚した直後の母に対する仕打ちが、

思い出された。

 

あんな奴、何がセンセーだ。

 

人間として最低最悪じゃないか。

 

定年退職後、

まだ生きているのだろうか?

 

まだ離婚していないのだろうか?

 

絶縁のままなので、

どうでもいいが。

 

しばらく存在自体を忘れていたが、

記憶の連鎖で、

思い出してしまった。

 

 

高校生の頃に、

母だけでなく私も激怒して絶縁したので、

それ以来、

水戸一高の故杉田先生のような文字通りの先生、

つまり尊敬できる人格者もいたけれども、

従兄の対応以来、

トラウマというのか、

「先生」という言葉に、

嫌悪感を持つようになってしまった。

 

「先生と言われるほどの馬鹿でなし」

 

という言葉を、

そうだよなあ、

という戒めとして、

学生時代からずっと、

教育産業に従事するようになってからも、

今まで持ってきた。

 

やっぱり社長と同じような意味の、

「塾長」の方が、いい。

 

 

まあ、教育者ヅラするのも、

嫌だけれども、

 

センセーも嫌だし、

商売人とか守銭奴も嫌だし、

 

結局、

「塾長」が、

一番合っている。

 

教育者を標榜する

一介の塾長。

 

まあ、そんな程度だ。

 

 

従兄のことなんか、

誰も一度も語ったことがなかったが、

今は介護老人になってしまった母にかわって、

記録しておこうと思った。

 

 

 

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