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考え方

谷川岳

昭和の時代に

山の写真集とか

山岳小説とか

山のルポルタージュとか

山の映画とか

山の音楽とか

そういうものが、

流行った。

 

高度経済成長と

バブルで

失われていく自然に対する

アンチテーゼだったのかもしれない。

 

公害問題も

一時は凄かった。

 

日本各地で公害は裁判沙汰になり、

県内でも、霞ヶ浦と北浦は巨大なドブと化し、

悪臭を撒き散らしていた。

 

そういう時代でも、

山頂には、

あるいは人跡未踏の密林地帯には

自然がありのままに近い状態で

残されていた。

 

そういうものに、

憧れた。

 

近代登山は、

ヨーロッパの貴族から始まったようだが、

その動機といえば、

貴族で労働しないから、

暇な時間と金を持て余していて、

そこに奇麗な山が見えるから、

登ってみたい、

そういうことから始まったようだ。

 

登山もフライフィッシングも、

貴族の遊びから始まった、

ということのようで、

 

暇と金と若さと自信が揃うと、

やりたくなるもののようだ。

 

戦後数十年がたったので、

昭和末期から平成にかけて、

暇と金と若さと自信が揃ったので、

登山がしたくなった、

という感じだろう。

 

自分の場合は、

本と映画とテレビと音楽と、

そういうメディアに影響されたことが大きかった。

 

自分の場合は

金も無く暇もそれほどなく自信もあまりなく、

あったのは若さだけだったが、

 

成金みたいな大人たちに辟易していて、

自分の親は貧乏で、

そんな俗世間に嫌気が差していて、

逃避したかった、

それだけだと思う。

 

若き日の私は、

アルバイトで稼いだ金で

青春18きっぷを駆使して

超貧乏旅行をしたり

自転車を担いで輪行したりしていたが、

 

そういう流れで、

装備も無いのに、

 

土樽駅・土合駅で乗車下車して、

谷川岳の麓から山頂まで、

グレートジャーニーみたいな登山を

やったことがある。

 

時間も金も無かったので、

全てを節約するために、

本当に、山頂部を走り回った。

 

谷川岳というと、

ロッククライミングの聖地で、

昔は今のような装備もなかったので、

数百人もの人が、

転落事故で死んだという、

魔の山だ。

 

自分の場合は、

技術も何も無い

ど素人による

ただの登山だったので、

ただひたすら走るだけだったが、

 

一の倉岳に至る稜線は、

本当にカミソリのようで、

足を置くスペースしか山頂にはなくて、

右も左も絶壁で、

とんでもない場所だった。

 

体の半分が日本海側で、

あとの半分が太平洋側で、

 

夏だったので、

下から雲が湧き上がり、

あっという間にどんどん上昇してくると、

体の半分が雲に覆われ、

のこりの半分が快晴、

という、

信じられない状態になった。

 

ああ、こういうのが地獄で、

そして天国なのかもしれないな、

そんなふうに思った。

 

この世は地獄と天国の境目にある、

この世は陰と陽で成り立っている、

そういうことが、

直観で分かった。

 

右は快晴だが

左は雲で何も見えない、

自分はその境界線上にいる。

そして、

ちょっと風が強ければ、

あるいは足を踏み外せば、

切り立った崖を右にも左にも転落し、

どっちにしても、

死ぬ。

 

谷川岳は、

生きているとはどういうことなのか、を

教えてくれたのだと思う。

 

死と死の境目が生きているということで、

右、左と交互に足を運ぶことで前進することこそ、

一番安全ということで、

下を見すぎないで上を見すぎないで

前を中心に全体を俯瞰して歩むべきだ、

ということで、

 

美しい風景は途中にたまにある、

でもほとんどが苦しい状態にある、

ということで、

 

そういった多くの気づきがあるのが、

登山の魅力なんだろうな、

と思った。

 

なるほど、

古代から、

山に登るとそこに神や仏を見て、

信仰の対象になった、

というのが 頷けると思った。

 

 

自分の場合、

登山は遭難すると他人に多大な迷惑をかけるから、

という理由で

のめり込むことはなく、

 

10年以上、

登山というものをしていないが、

 

山の魅力に引き込まれ、

一生、登山を続ける人がいたり、

山に入り込んでしまう人がいることが、

理解できる気がした。

 

 

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