ひたちなか市の進学塾・学習塾
受験予備校常勝の塾長の吉村です。
生存バイアス
とか、
成功者のバイアス
と言われる問題がある。
億万長者になった事業家に憧れて
商売を始めてみたが、
失敗して借金まみれになった、
とか
オリンピック選手に憧れて
自分もスポーツ選手になれるかと
頑張ってみたが、
鳴かず飛ばずだった、
とか
芸術家として一流になれば、
自分もヒーローになれて
バラ色の人生が待っているかと思ったが、
有名になることなく、
人生が終わった、
とか
テレビを見たり
本などを読んでいると
その気になって
自分もできるのではないか?
と考えてしまい、
やってみたところ、
成功できなかった、
といった話は、
いくらでもある。
1人の成功者の影には、
その100倍の失敗者がいる、
という説もある。
落伍者は、
自分の失敗談を語らない。
だから、
100倍の人々は、
表に出ない。
で、1人だけの成功者が、
ヒーローになる。
スポーツなどは
分かりやすい例だ。
メダリストは成功者だが、
その影には、
一度も脚光を浴びることがなかった
多くの人がいる。
そもそも、
なぜ、一握りのヒーローが目立つのかというと、
珍しいからだ。
要するに、
どの分野でも、
成功者は少数派で、
例外的だからこそ、
目立つ存在となる。
小学生などは
お稽古事をするものだが、
大成した、
という例は、
ごく少数だと思う。
ほとんどの場合は、
挫折する。
例外的に、
有名な存在になれて、
成功者になった気分になっても、
それは一時的で
実は、
生活費も稼げない
だから親の財産を食いつぶしている
などという話も聞く。
あるいは、
脚光を浴びるのは短期間で、
その後は延々と、
地味な老後が待っていたりする。
まあ、
テレビや本などは、
「物語」だから、
娯楽にすぎない、
と捉えればいいのだが、
自分もチャレンジするとなると、
大変な現実が待っている。
で、このブログは受験予備校常勝の塾長のブログなので、
勉強に関連付けると、
勉強とか受験の分野でも、
成功者と言えるのは、
少数派になるだろう。
ただし、
短期間だけ脚光を浴びる存在になることは、
そう難しいことではない。
たとえば、中学校で1位になる、
その程度ならば、
そんなに難しいことではない。
たかが義務教育のレベルで、
100点を5教科とれれば、
1位になんて、
なれるわけだ。
塾長自身もその経験があるし、
塾生も毎年、
それを実現している。
ただ、
一生勝ち続ける、
となると、
ほとんど不可能に近い。
上を目指せば目指すほど、
いくらでも
もっと上が現れる。
世界トップレベルのアスリートでも、
勝ち続けることは、
不可能だ。
勉強とか受験の分野でも、
同じことだ。
いつか、負ける時が来る。
それでも、
人生の一時期でも、
トップに立った経験は、
かけがえのないものだ。
しかも、
スポーツや芸術などでそれをやるのは
ものすごく大変だが、
勉強ならば、
それほど大変ではない。
たやすいことだ。
本気でやってみれば分かることだが、
他の分野よりも、
勉強の方が楽なのが現実だ。
だから、
本気でやる価値がある。
勝ちやすい、
ということだ。
お得だ、ともいえる。
大成功を続けることは難しいとしても、
一時的に大成功することは簡単だし、
小さな成功ならば、
もっと簡単だ。
それこそが、
凡人が勉強をするべき、
理由だと思う。
受験予備校常勝には
1位をとるための
ノウハウが確立しているので、
真面目に素直にやりさえすれば、
できてしまう。
たぶん、あなたも。
万一、
1位になれなかったとしても、
3位ぐらいには、
たやすくなれる。
勉強以外で成功者になることは
とても難しいが
勉強ならば、
案外、簡単なのだ。
受験予備校常勝ならば。
塾長が、
この仕事を続けている理由の一つは、
一時的に成功者になれたのに、
その後、失敗者に転落してしまった、
という実在の身近な人を、
何人も知っているからだ。
一時的に勝つことは簡単だが、
その後の人生があるので、
勝てばいい、
という単純な問題ではない、
と信じているからだ。
たとえば
中学までヒーローだったが
肝心の受験では不合格になった人、
とか、
水戸1高に入ったまでは成功者だが、
その後、勉強を完全にやめてしまった人、
とか、
水戸一高の後に東大に入ったが、
その後、
鳴かず飛ばずになってしまった人、
とか、
有名大学に入学し、大学院に進学し、
誰もが前途洋々の将来を確信していたが、
若くして謎の死を遂げた人、
とか、
そういった例を、
たくさん知っている。
一瞬は成功者に見えたが、
何かがおかしかった、
という、失敗例だ。
それが何故なのかが見えるから、
彼らがそうなった理由が分かるから、
受験予備校常勝の可愛い生徒には、
そういう将来になってほしくない、
という、
切なる思いがあるからだ。
伝統的な受験予備校とか進学塾とか学習塾とか家庭教師とか、
とにかくこの業界は、ほとんどの場合
本人の「その後」のことを考えていない。
まあ、自動販売機で物を買うみたいな感覚で
受験産業を利用する人が多いから、
需要と供給が合致している、
ともいえるのだが、
私は
そういうのが
どうしても嫌なのだ。
「その後」が見えるのに、
放置することなど、
私にはできない。
まあ、
私が商売人には向かない、
ということなのだろうと思う。
教育者ヅラするつもりは無い。
偽善者は大嫌いだ。
でも、嫌なものは嫌なのだ。
たかが義務教育の程度で
勉強で成功することなんて、
簡単だからこそ、
世の中と人生を
ナメないで欲しい。
多感な十代だからこそ、
間違った価値観を
持って欲しくないのだ。
間違った価値観を流布したのが、
受験産業ではないか
と思う。
ニーズに応じたのだから、
消費者に問題がある、
ともいえるが、
害の部分も分かった上で
サービス提供するのならばいいとしても、
通常、害の部分になど、
触れないだろう。
要するに、
毒や害には一切触れずに、
間違った価値観を植え付けてしまうのだ。
それが、私には
我慢がならない。
子供だまし
なんて、やりたくない。
本当の
長続きする
成功者になってもらいたい。
そのために
勉強してほしい。
それが、
願いだ。