ひたちなか市の進学塾・学習塾
受験予備校常勝の塾長の吉村です。
寺子屋
寺小屋
史料を見ると、
どちらの表記もされたようだ。
今で言う、
私塾の江戸時代版だが、
「寺」の文字が入っていることは、
お寺のお坊さんが知識階級として、
地域の指導的な役割をもっていた、
ということから来るんだろう。
武士は特権階級として
教育を受けていた一方で、
商人は丁稚として教育を受け、
人口のほとんどを占めた農民はといえば、
庄屋と名主だけではなく、
お寺のお坊さんが
その指導者だったようだ。
寺請制度というのは、
要するに、
市役所みたいなもので、
江戸幕府が農民を戸籍管理するための仕組み
だったのだと思うが、
宗教的に精神的な支えになっただけではなく、
読み書きを庶民に教える、
学校か私塾のような機能を持っていた、
ということから、
「寺」の文字が使われたということだろう。
その寺子屋が、
武士の藩校のみならず、
日本人全体の識字率を世界トップレベルにし、
その結果、日本人は全体に頭が良かったので、
そのことが日本が植民地にならなかった
最も有力な理由の一つとなり、
そういった流れが、
明治時代につながり、
明治初期には、
大英帝国をも凌ぐ教育水準の高さだった、
というのだから、
やはり国の強さというのは、
教育水準の高さなんだな、
と思う。
古代には、
文明国を野蛮な国が滅ぼした
という歴史があるけれども、
進歩した時代には、
表面的な武力よりも、
頭の良し悪しの方が、
「強さ」なのだ
ということだと思う。
国といったような
集団でもそうだが、
個人レベルでも同じことで、
学ぶ、とは
力を手にする
武装する
ということだと思う。
数百年前から、
刀や銃器で武装していただけではなく、
頭も磨くことで、
国全体が武装していた。
欧米列強から見れば、
最強の国に見えたわけだ。
それがあってこそ、
魅力にもつながったのだろう。
貧しいけれども
賢くて強い国。
清貧という美学をもつ国。
武士のみならず、
ほとんど全員が、
そういう価値観で生きてきた、
素晴らしい国だったのだと思う。
寺子屋
などというと、
たかだか子ども相手に読み書きを教えるだけの
幼稚な存在のようにも一見、
見えるが、
実際は、
そんな単純なことではなく、
「頭そのものを良くした」
という点で、
人間力をアップさせた、
ということで、
実は、
鉄砲などの暴力以上に強力な
最強の武器を手にさせた、
という、
とんでもなく素晴らしい存在だったのかもしれない
と思う。
いつの世も、
草の根の
寺子屋のような存在がある。