ひたちなか市の学習塾・個別指導塾・進学塾 受験予備校常勝の塾長の吉村仁です。
小学校と中学校で勉強している内容というのは義務教育の内容です。15歳以下の普通の子どもならば習得できると国が決めた内容を、やっているだけです。だから、勉強している全部が「基礎」であり、県立高校入試の問題さえも、基礎の内容なのですね。
勉強している内容が簡単なので、誰でも習得できるはずです。だから、誰でも教えることなんかできるじゃん、とばかりに、教えたい人もたくさんいるわけですね。
私は中学校と高校の教員免許を大学トップの成績で取得しましたが、教えたいとは思いませんでした。だからジャーナリストを志して、毎日新聞社に一般公募で入社しました。教えるというよりも、教育業界を変える側になりたかったからです。そのためには政治家かジャーナリストになるしかない、と思いました。残念ながら、新聞記者になることはできませんでしたので、結果的には販売局という、悪代官みたいな仕事になってしまいました。
当時の中学校では教師も生徒も暴力全盛で、そんな仕事は嫌だったのです。かといって、特定の思想や政治がからんだ反対運動にも加担したくはありませんでした。だからジャーナリストを目指したのですが、実際に新聞社に入ってみると、理想と現実はだいぶ違っていて、失望しました。
当時はCI運動の全盛期で、それにも失望しました。もっと他にやるべきことがあるだろう、と思っていました。でも、若造にはできっこない。
そんなわけで新聞社を辞めることにしたのですが、その後公務員になった時期を経て、学生時代の思いが再燃してきました。
教育業界を変える側になりたい。
だから塾長を20年近くもやっているのです。若き日の「思い」を遂げるために。
日々、子どもに接していて感じることは多々ありますが、基本的には、勉強の内容なんか、簡単です。また、勉強ができるようになることも、簡単です。学年トップになることさえ、簡単なことです。
ただ、子どもに限らず人間というのは、常に実際よりもイメージの方が上になっているんだな、ということを実感します。
どういうことか?というと、たとえば本人は100点がとれると思っているわけです。ところが実際にやってみると、できないことが多い。
つまり、思い込みと現実は、ずれているのです。それは、やってみなければ判明しない。あるいは指摘しなければ気付けない。
たとえば本人は合格できると思っている。でも、実際には、そこまでの実力が無いのです。
現実よりもイメージの方が、上になっているのです。
なぜなのか?というと、子どもに限らず、生きている人間は全員、そのようなのです。
それはなぜか?というと、現実よりも下のイメージばかりだと、うつ病のような状態になりそうなので、正常な精神状態で生きていくためには、誰でもそうなっているようなのです。
もしも実際よりも下のイメージが充満していたら、しまいには自殺したくなってしまうのでしょう。だから、生命維持プログラムが、実際よりも上のイメージを持ってしまうようにできているのだと思います。
それって前向きでいいじゃん、という面もあるのですが、勉強についていえば、かなり問題です。
なぜか?というと、現実はいつも下だから。
分かる、と本人は言っているので本当に分かっているのかな?と思うと、ほとんどの場合、実は分かっていません。
できる、と本人は言っているので本当にできているのかな?と思うと、ほとんどの場合、実はできていません。
合格できそう、と本人は言っているので本当に合格できそうなのかな?と思うと、ほとんどの場合、実は合格できるレベルになっていません。
いちいち、そうなのです。
こういう現象は、若い世代に顕著かもしれません。
本人はそういうわけですからハッピーかもしれませんが、現実が見えている私から見れば、ヒヤヒヤします。現実とは違うのですから。
一言でいえば、若い子は昔の日本人ではなくなってきたのだと思います。外人化してきた、ということでしょうか。
大人もそういう傾向が強くなっているかもしれません。外人化です。自信過剰化?
ほとんど喋れないのに「日本語できます」と言い張る外人のように、日本人がなってきたのかもしれません。
まあ、笑って済ませられることならばいいのですが、受験や勉強となると、深刻な状況だと思います。
本人の思い込みと現実との乖離。
やばいです。
中学校で1位、水戸第一高校でも上位、大学でもトップ、競争倍率数十倍の入社試験も突破、といった経験をベースに、古典的な進学塾や個別指導塾や最新の指導スタイルを研究し続けてきた結論として、私は
子どもの現実を希望のイメージに一致させるためのお手伝いを、ライフワークにしているのです。