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考え方

ひたちなか海浜公園の昔々

ひたちなか市の進学塾・学習塾

受験予備校常勝の塾長の吉村です。

 

 

受験予備校常勝の塾長は

生まれたのが水戸市内で

小学校が吉田小学校で

水戸市立第四中学校の卒業で

水戸一高の1年生の時に両親の離婚のために

土浦市に引っ越ししたので

 

子どもの頃の思い出

水戸市とか旧勝田市とか、

茨城県中央部に集中しています。

 

 

ご縁で

ひたちなか市で学習塾・進学塾・受験予備校を始めるまでは

茨城県南部・東京都内・千葉県内・栃木県内などと

転々としていたので、

久しぶりに旧勝田市に戻ってきた開校時には

浦島太郎状態でした。

 

 

塾長が子どもの頃からすれば

水戸市も那珂市も随分と変貌しましたが、

 

ひたちなか市でいえば、

ひたちなか海浜公園とその周辺は、

激変したと

特に感じます。

 

 

小学生の頃の思い出の中に、

射爆場跡地の探検

というのがあります。

 

 

ひたちなか海浜公園ができる前は、

その周辺は立ち入り禁止の荒れ地で、

戦争の時代の記憶を残す場所でした。

 

 

射爆場というのは、

旧日本軍とか警察予備隊とか自衛隊とかが

兵器の射撃を練習する場所で、

爆撃の訓練もやったらしいのですが、

 

小学生だった私は

立ち入り禁止のその場所に

鉄条網をくぐって侵入し、

探検したことがあるのです。

 

 

広大な荒れ地に

人間は誰もいない、

不思議な空間で、

 

サンフランシスコ平和条約によって?

米軍が撤退するまでは

アメリカ軍が駐屯していたらしいのです。

 

 

なぜそれを知っているのかというと、

射爆場跡地には、

英語だらけの書類が残っていて、

アメリカ直輸入のコカ・コーラの缶なども散乱していたのです。

 

 

海岸線に歩いていくと

無数の弾丸や信管などの破片が散乱しており、

今思えば、

不発弾などもあったのではないか?

と、危険な探検だったと思います。

 

 

鉄条網で囲まれた国有地で

荒れ果てた空間で立ち入り禁止だったので、

 

雉のつがいが人間を恐れず闊歩していたりして、

敗戦からずいぶんたつはずなのに

こんな場所もあるのだな、

と、強烈な記憶になりました。

 

 

当時の海浜公園周辺は、

そういう不思議な空間だったので、

 

その後、

茨城県を永年離れていて戻ってきたときに

海浜公園や新しい港や工場地帯や

ジョイフル本田やショッピングモールなどがどんどんできて

風景が激変していったのには、

本当に驚きました。

 

 

ひたちなか市には

現在も自衛隊の武器学校があり、

武器演習場も残っていて、

戦争の時代の名残を残していますが、

 

海浜公園の近くには

戦争中は飛行場だった、

という遺跡もあり、

今は保健所とか公園になっているようですが、

 

ひたちなか市周辺の広大な範囲が、

戦争中には、

総合的な軍事エリアだった、

ということのようです。

 

 

塾長が大人になって

山飛びのパラグライダーとか

モーターパラグライダーをやってみたかったのは

小学生の頃の、

射爆場跡地の探検と

飛行場跡地の探検と

勝田駐屯地といった

そういう入り混じった記憶も

関係しているのかもしれません。

 

 

空を飛ぶ趣味は

色々な理由で

随分前に辞めてしまいましたが、

 

空を飛ぶだけでなく、

子どもの頃から

自分には

探検ぐせがある気がします。

 

 

ひたちなか海浜公園の昔々スマホとかGPSとか

最近特に急に便利になりましたが、

その反面、

探検みたいなことが、

できにくくなりました。

 

 

荒れ地とか

立ち入り禁止の謎の空間とか

未踏の地とか

そういうのがなくなって、

 

地球全体をグーグルアースで見ることができる、

どこに行ってもナビがある、

というのは、

夢がなくなった

ようにも思います。

 

夢というか、

想像の余地というか、

ロマンというか、

そういうのには、

不安や危険がつきまといますが、

 

それが全然無くなると、

なんだか つまらないなあ、

という感じがします。

 

 

開拓者精神

という言葉もありますが、

戦前戦後の開拓者は原野を切り開き、

不安や危険に打ち勝って、

ずんずんと突き進み、

多くの人は、

最初は信じられなかったような、

奇跡のような、

想像を絶するような富を手にしたり

したのだと思います。

 

塾長の親とか祖父母の世代

ということなのですが、

日本の発展と個人の発展が重なっていて、

冒険のような、

そんな人生の人がたくさんいたと思います。

 

塾長はその子供とか孫の世代なので、

そういうものが消えていくのを

リアルタイムで見ていたわけで、

 

今の子どもたちに毎日 接していると

あきらかに、

多感な子ども時代の経験の中身が

自分とは 全然違うんだよな、

と、

痛感します。

 

 

良い悪い

ということではなく、

 

射爆場跡地の探検

みたいなことは

今の子どもたちにはできないわけで、

 

誰かが金儲けのために作った遊園地で

他人に管理されながら遊ぶ

そればっかりになっていて、

 

可哀想なような

気もします。

 

 

便利で快適だ、

ということは、

誰かの金儲けのシステムに組み込まれ、

誰かに管理されている、

という面があって、

 

不安や不便や危険など

枠外の経験も

子どもの頃には必要なんじゃないのかなあ?

と、感じます。

 

 

もちろん、

塾長としての仕事はきっちりやらなければならないので、

座学としての勉強はお任せ下さい!

ということなわけですが、

 

ただ、それだけではなくて、

もっと広い意味での勉強も

子どもには大切かもしれない

と、いうのが本音です。

 

 

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