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テスト 中学 学年1位 成績 水戸一・水戸1 考え方

水戸一高に合格するには偏差値70以上の塾テストの成績が必要ですが、偏差値70以上ならば、一気に道は開けるのです

ひたちなか市の学習塾・進学塾・個別指導塾

受験予備校常勝の塾長の吉村仁です。

 

プロフィールにも書きましたが、

小学校の頃は、

授業中におしゃべりしていたり、

漫画を描いて友達に見せて喜んでいたり、

逆上がりもできずに駆けっこもビリ、

そろばんも7級で挫折、

九九を覚えるにも泣きながら、

というような、

劣等感の塊みたいな子どもでした。

 

でも、小6の担任が贔屓してくれたせいなのか、

猛然と、勉強を始めたのです。

 

学校の先生に対する不信感のせいか、

小学校そのものが嫌いで、

中学校に行ったら部活を頑張って、

勉強も頑張ろう、

と、決めていたからでした。

 

小学校の頃には

他人所有の空地に穴を掘って「秘密基地だ」と喜んでいたり

小川で雑魚を釣ったり

雑木林の中を探検したり

大風でも大雨でも自転車で走り回ったりするような

野生児みたいなところがありましたから、

勉強は苦手でしたが、

 

まあ、できるだけの勉強をしてみよう、

と、精一杯、頑張ったのです。

 

親が教えてくれたわけでもなく、

塾に行ったわけでもないので、

全くの手探りだったのですが、

 

なぜか、中学校に入学して最初のテストで、

いきなり、学年2位をとってしまったのです。

 

そこで、欲が出てしまい、

学年1位がとりたい、

水戸一高に行きたい、

と、さらにさらに頑張りました。

 

でも、誰かが教えてくれたわけでもなかったので、

試行錯誤の連続で、

今の子どもの、数十倍の、

壮大な無駄をやったのです。

 

分からないことだらけだったので、

勉強のやり方についての本を図書館で借りたり

書店で買ったりして、

インターネットもパソコンも無かった時代ですから、

調べるだけで、

ものすごく大変でした。

 

それで、

だんだん分かってきたのは、

勉強のやり方というのは、

どうやら、色々あるらしい、

ということでした。

 

 

そうやって試行錯誤を続けながら、

順調だったのか?というと、

父親は毎晩、酒を飲んでは母を殴り、

包丁まで振り回すような、

ヤクザみたいな男でしたので、

家庭環境は最低だったのです。

 

そんな状況を何とかしたいと、

母は姉を教育しようとし、

できたばかりの緑岡高校に入学させましたが、

家庭環境がそんな異常な状況でしたから、

姉は入学しただけで勉強が嫌になり、

高校ではまともに勉強しなかったようでした。

 

留年や中退が普通だった時代に

留年も中退もせずに卒業したのだから、

まあ、最低限のことはやっていたのでしょうが、

大学に進学するつもりも無かったようでした。

 

姉よりも6学年下の私は、

そんな姉を見ていて、

とんでもない父親の子どもなのだから仕方がないな、

と同情しながら見ていましたが、

 

たまたま、私の場合はいきなり学年2位をとったものだから、

優等生気取りでいることにしたのです。

 

もちろん、心の中は荒れ狂っていたので、

他の優等生たちに、

違和感を感じていました。

 

親が高学歴だったり、

親が高収入だったりしたので、

反感を持っていたのです。

 

下剋上を、

誓っていました。

 

でも、劣等感は すさまじく、

学年1位をとっても、

自信がありませんでした。

 

とにかく、無我夢中に、

勉強するしか無かった。

 

自己暗示を

しょっちゅうしていました。

 

お前が合格できずに、

いったい、誰が合格するというんだ?

と、自分に語り掛けました。

 

「自分を信じることが成功の秘訣」

という言葉をカレンダーに見つけて、

必死に、自分を奮い立たせました。

 

敵は、ライバルではなくて、

自分の

弱気とか劣等感でした。

 

それに打ち勝つのが、

本当に、大変だった。

 

水戸一高でも、

自分と境遇が近い人と、

親しくなりました。

 

チャラチャラしている奴が、

大嫌いでした。

 

水戸一高でも、

下剋上をやってのけることを、

願っていました。

 

 

水戸一高の1年生の2月に

柔道部だった私は、

酒乱で不倫の父親に対する怒りが爆発し、

ただ一度、ぶん殴り、

夜逃げ同然に、

母と姉と、

水戸の家を脱出しました。

 

両親を離婚に追い込んだのでした。

 

酒乱で不倫の父親との縁が切れたことで、

ほっとした面がありましたが、

母はパートしかできなかったので、

ますます、貧乏になりました。

 

裁判所で約束したはずの養育費は数回で打ち切られ、

水戸の不動産は父に踏んだくられ、

母は慰謝料も貰え無かったのです。

 

何をするか分からない父が、

怖かったからでした。

 

ただ、逃げた。

 

そんな状況が、

水戸一高の2年になっていた私には、

耐えがたかった。

 

大学進学も諦めかけましたが、

国立大学ならば授業料免除というのがあり、

奨学金もあるので、

成績さえよければ進学できる、

と知って、

勉強は続けました。

 

 

高校受験でいうところの、

偏差値70以上の成績があれば、

国立大学の成績もトップをキープすることができるので、

授業料免除と奨学金をもらえば、

生活保護寸前の経済状況でも

何とかなったのです。

 

新聞奨学生も考えましたが、

母が精神的に不安定だったので、

別居して新聞奨学生をやる、

という選択肢は、

自分には ありませんでした。

 

ただ、成績優秀でさえあれば、

授業料免除と奨学金で、

国立大学を卒業できる。

 

それを、

今の子どもにも

知って欲しいと思います。

 

成績さえ良ければ、

どんなに条件が悪くても、

道は 開ける。

 

勉強する、というのは、

金を稼ぐのと、

同じ効果があるのです。

 

 

ただし、

偏差値60程度の成績では、

私のような条件には、

なりません。

 

偏差値60程度の成績では、

オイシイ条件は、

無いのです。

 

ひたすら、

苦しい状況だけが続く。

 

でも、

トップレベルになれば、

どんな道でも開けます。

 

 

今時の子どもで、

当時の私ほどの悪条件は

無いのかもしれませんが、

 

私の実体験を、

進路に迷っている中学生のために

生かしてあげたい。

 

大学でもトップの成績をキープし、

授業料免除と奨学金で、

国立大学を卒業した人なんて、

非常に珍しいからこそ、

 

どんなに劣悪な環境でも勝つ道はあるのだ、

と、教えてあげたい。

 

そういう思いで、

日々、真剣勝負をしているのです。

 

 

 

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