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勉強のオリンピック選手を養成します

ひたちなか市の学習塾・個別指導塾・進学塾

受験予備校常勝の塾長の吉村です。

 

ゆとり教育は すでに 完全に否定されました。

 

それから、ずいぶん、時間が過ぎました。

 

でも、ゆとり教育の時代に

一度 ガタガタになった家庭教育や学校教育は、

ますます、ガタガタなようです。

 

ゆとり教育の時代には、

私の目の前で子どもに

「どうしたいの?

あなたがいい方に従うよ」

と、質問する保護者がいました。

 

保護者が、子どもの

希望に従う、

というわけです。

 

希望だろうが命令だろうが、

要するに、

親が子どもに「従う」のです。

 

こういう保護者もいました。

「子どもとの関係が崩れるのが怖いので

塾を辞めます」

というのです。

 

この親も、

子どもに自分が「従う」、

というのです。

 

引退後の老人じゃあるまいし、

小学生や中学生の子どもに

中年の親が、

いつも「従っている」構図。

 

ゾッとしました。

 

ゆとり教育の時代には、

そういう状況が一般的だった。

 

当時の子どもが大人になって、

社会に出た時に、

社会人として、

とんでもない状況が起こっているようです。


東洋経済オンライン

http://toyokeizai.net/articles/-/100455

「褒めて育てる」でダメになった日本の若者

エセ欧米流が子どもの生命力を歪めた

より、引用。

ーーーーーーーーーーーーーーーーー以下、引用ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

頑張れず、傷つきやすい現代の若者たちは、日本の文化風土を無視したエセ欧米流の「褒めて育てる思想」の産物であるという。

自著『ほめると子どもはダメになる』でこうした現実を指摘した臨床心理学者で、MP人間科学研究所代表の榎本博明氏に、詳細を聞いた。

(省略)

褒めまくられて育てられると、褒められるのが当たり前になる。

逆に褒められないとやる気がなくなってしまう。

「褒めてくれないと自分たちはめげる世代だ」と言う若者も多い。

学生時代はそれで通るかもしれないが、社会に出てそれが通るわけがない

そういう若手社員は、うちの上司は褒めてくれないからモチベーションが上がらない、命令してくるからムカつく、さらには人間として対等な立場なのだから、人にモノを頼むのなら上司はお願いすべきだとさえ言い出すようだ。

ーーーーーーーーーーーーーーーーー以上、引用ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

最近の日本の組織では、

大変なことが起こっているのですね。

 

現在は一人で塾を経営していますが、

今のサムライ昇龍合格術にする前は 講師を最大5人雇っていましたし、

私も経営者側ですから、

今の上司や経営者の怒りが分かります。

 

社会で通用するワケがないことを、

ゆとり教育時代の家庭教育や学校教育では

大々的に推進していたのですね。

 

使い物にならない人を

大量生産していた時代。

 

それが、ゆとり教育だったのですね。

 

 

私は評論家ではなく、

塾長という実務家ですから、

論評するつもりはありませんが、

 

あらためて、

自分が学生だった時代に、

自分が受けている学校教育というシステムは オカシイ と

ずっと思っていたことを思い出します。

 

当時は、

中学校の先生というのは、

高圧的で、暴力を日常的に振りかざし、

学年委員長や副会長などをやって超優等生だった私でさえ、

先生から暴力を受けました。

 

成績優秀者の実名ランキングが

県内全域にばらまかれて

激烈な競争が煽られた時代でもありました。

 

その時代の反動で、

ゆとり教育の政策になったのですが、

そういう論調にも反感を持ちました。

 

安易すぎるからです。

 

親が子どもに「従う」という、

滅茶苦茶な状況になることが、

予測されたからです。

 

学校というシステムは崩壊する。

学生時代の私は

そう確信しました。

 

だから、ジャーナリズムを志した。

 

力及ばず、

新聞記者にはなれませんでしたが、

日本三大新聞社の東京本社の販売局に正社員として採用して頂けた。

 

ジャーナリズムの中枢にいられたことが、

誇らしく思えました。

 

でも、学生時代の「思い」は、

遂げられなかった。

 

その思いは、

今でもずっと、

燃え続けています。

 

 

私は教員免許を取得しましたので、

正式に学校の先生になるための教育を国立大学で受けましたが、

結局、自分が受けた暴力的な学校も、

そのカウンターとしてのゆとり路線も、

どちらも、嫌だったのです。

 

だから、学校システムの「教える側」に

なりたくなかった。

 

 

その後の歴史が証明してくれましたが、

 

ゆとり教育以前の

つまり、今の保護者が子どもの頃に受けた暴力的な学校教育も、

あるいは、その後のゆとり教育も、

どちらも失敗だった。

 

私が大学時代に予測したことは、

正しかったのです。

 

現在は、文部科学省が、

完全に

過去の方針を否定しているわけです。

 

 

現在の文部科学省が考えていることは何か?

というと、

個性を伸ばすこと

であって、

学力もまた、個性の一つである

という論理です。

 

つまり、

勉強のオリンピック選手みたいな人については、

勉強のオリンピック選手の候補者として

それなりに育成し、

 

スポーツのオリンピック選手みたいな人については、

スポーツのオリンピック選手の候補者として

それなりに育成し、

 

エンジニアのオリンピック選手みたいな人については、

エンジニアのオリンピック選手の候補者として

それなりに育成し、

 

客商売のオリンピック選手みたいな人については、

客商売のオリンピック選手の候補者として

それなりに育成し、

 

要するに、

全員に同じ教育をすることを

やめますよ

という、ことなのですね。

 

一人ひとりに

目いっぱい、差をつけますよ、

ということ、です。

 

 

江戸時代のような言い方をすれば、

武士であろうとするのならば

武士としての教育をして、

商人であろうとするのならば

商人としての教育をして、

職人であろうとするのならば

職人としての教育をしていく、

というのが、

現在の、文部科学省の方針なのですね。

 

 

その変化に、

学校教育の当事者でさえ、

ついていけていないのが、

現状のようです。

 

学校の現場は、いまだに、

ゆとり教育の時代を

ひきずっている。

 

もはや、

過去の価値観は崩壊したのです。

 

文部科学省が、

そう宣言している。

 

もしも、

自分の子どもを武士にしたいと思うのならば、

徹底的に武士としての教育をしていかなければならない。

 

そういう時代になったのです。

 

自分の子どもを武士にしたいと思わないのならば、

たとえば農民になるための教育をしていかなければならない。

 

もはや、

万人に同じ教育はしませんよ、

という、方針なのですね。

 

 

結論を言えば、

学校教育は、

いつの時代も、

最低レベルでしかなくて、

 

そんなことは、

成績トップの生徒は

昔から、今でも、分かり切っていたわけです。

 

いつの時代も、

学校になんか、

依存するワケがない。

 

学校というのは、

「利用」するものだ、

と、

いつの時代も、

トップの成績の生徒は、

分かっていた。

 

学校の中で使えるものは使い、

使えないものは

自分で勝手に調達する。

 

そんなことは、

本物のトップにとっては、

常識だったわけです。

 

主体は自分にある。

 

 

私は、

自分が学生時代に抱いた「思い」を遂げるため、

 

勉強のオリンピック選手を目指す人のために、

勉強のオリンピック選手を養成したいと

熱望しています。

 

将来のリーダーを

育成したい。

 

将来のリーダー候補者の期待に

最大限に応えたい。

 

そのために、

さらに、

サムライ昇龍合格術に

磨きをかけていきます。

 

 

勉強のオリンピック選手を養成します

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